第二十回 「淡々と生きる」  釈迦の弟子の話 小林正観 著作


  高橋信次さんがよみがえった記憶で書いた「人間釈迦」という書物は、仏教上のわからなかったところを説明し、釈迦のすごさを高橋さん風にいろいろ教えています。面白いのは、蘇った記憶に従って書き続けていったところ、「人間釈迦」以外にも本が何冊もできて、仏教の研究家にすごい衝撃を与えたというところ。出席していた人は「みんな釈迦の弟子の生まれ変わりの人だ」と言ったことも、結構説得力があります。
 それを前提に考えると、釈迦の弟子だつた私の話を聞きに集まる人もまた、釈迦の弟子だったことになります。とすると、「いゃあ、2500年ぶりですね。お久しぶりです」ということになりますね。釈迦の時代以来、2500年ぶり。
 空海は、今から一二〇〇年ぐらい前に生まれました。私がこれまで検証したところでは、空海も釈迦の生まれ変わりです。同じ魂を持っているからです。もし高橋さんの説に従って私が釈迦の弟子の生まれ変わりだと前提すれば、私の周りに集まる人々と私は、空海の時代にもお会いしている可能性があります。とすると、本当は一二〇〇年ぶりということになるのかもしれません。しかし、実際は、人によっては六〇〇年ぶりの人も、四〇〇年ぶりの人もいます。人が生まれ変わるのは、二00年、三〇〇年、六〇〇年ぶりとそれぞれです。二〇〇年、三〇〇年、四〇〇年、六〇〇年、その最小公倍数が一二〇〇年です。人は一二〇〇年のうちに、二回、三回、四回と生まれ変わって行き、そして一二〇〇年ぶりにまた全員集合するというわけです。

 私は大体300年ぶりにこの世に出ているらしいので、300年ぶりに出てくる人とは、この1200年の間に四回ご一緒しています。ご一緒はできていませんが、その間、四〇〇年ぶりに生まれ変わる人は三回この世に出て、六〇〇年ぶりの人は二回この世に出ているわけです。
私たちはそういう縁をもって今生に生まれてきました。

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