こだま会講演日記    第八十九回   坂本通博 筆記

泰岳貴尊講義


皆の心も大分明るくなってめでたい。
のど坂過ぎれば熱さ忘るると言ふが、皆は何か忘れて居る。
拝みせよといつも円海が教へて居る。
拝む心とはたましひ、心を美しくする。洗濯する、アンと言って心を
洗ふのである。 たましひを洗ふ   たましひを磨く
たましひは元より光あるものだが、人間のからだの中にある間は肉体の汚れで暗い。
たましひの中はひかり輝いている。之を心の布巾でみがく。之が拝み。
拝んで心を洗濯して美しくなった心でたましひをみがく。
のど坂過ぎればあつさ忘れるで、之がなかなかむつかしい。
戦争時代の阿鼻叫喚の声は未だ心に残って居るはず。もう戦争はしたくないと思ふは皆一つ。何のための戦争だったか。
あの時代、粗衣粗食に甘んじて、国のため君のためと思って働いて居た。
君の為国の為と言ふ心持は別段皆の心の中で国や君を大事にしたのでもない、
しかたがないからやったまで。真心から我慢したのではないだろう。
男の女をみる目、女の男をみる目、いつはりの目で見ている。
男女同権と言ふが、男が女をみる目口丈心丈で、意はそう見て居ない。口先のいつはり。
男は女を情欲をみたす道具の様に心得て居る。女も亦同じ。自分の魅力であの男を左右してやろううと考へる。
本心から男女同権になったらいつはらない心である。
女は引力性、男は圧力性
たましひとたましひのつき合、夫婦関係となればそんな見方はしないもの。
だから夫婦の和合が出来ない。
本当の夫婦と言ふものはない。
之は動物性関係を言ふのではない。
心が表裏の関係あり。表では正とか善とか口にして居ながら行はないのは表裏あるなり。
こうしたらよいのだけれども。このけどもがすでに・・・・・(心意の戦い)
邪淫戒と言って宗教で戒めている。
淫する事。情欲とか男女関係があるために足元に火がついていると言った。
心の中にある心と意をたたかはせない様に、心に、裏表のない心に拝みをする。
拝みをして心に裏表のない様にする。
それには善悪者正を取り払う事。
心=夫
意=妻
うらおもては夫婦関係になっている。
夫婦が一体となり、うらおもてなくして魂と言ふ父母に従うこと。
之で初めて肉体が平和になり安全になる。そうすると自他の区別がなくなる。
ひまあらば拝み、暇なくても拝み、仕事の中で拝みする。「善悪を払うと言ふ事について坂本の質問に答へて」
善悪は枝葉。根本にかへればない。善でも悪でもよろしい。
人間同士のきめたものには、それに従っていればよい。
平均した心でないと拝みにならぬ。
反射力のおこらぬ
様に心を沈静させるのが善悪を平均せしめたと言ふ。(納得させる。)こと。反抗心をなくする法。
原因を確かめて原因を取り去る事。
不平不満はなくなる。
たましひは消滅しないが心は消滅する。だから結果がない。

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