未知日記講話集 大霊界入門記  この太陽系の惑星からも気光素電波を発信している星がある  教主寛大講義

大霊界入門記    後編                 
第五、ギョウ 実地門 (仮称) 一名就業門 (仮称) とも云ふ                                                   その5
                       教主寛大講述



 近頃天体研究と称して種々様々の説を流布し居れど、大要はおぼろげに知らされ居るのみにて事実を事実として、完全に伝へ居る学者は一としてあらざるなり。太陽系宇宙の中には汝等諸子の如き世界もあることは云ふ迄もなし。さればこそ、汝等諸子の世界にも気光素電気の伝はりが発せられつつあるなり。然るに諸子の世界には是を知らず。又受電機のそなはりなきによって互に交はりをなすことを得ざるのみ。余事にわたりたり。もとに復して語らん。
 兎に角四大前門を終りてギョウの道に入りたれば、是より新しき任務を架せられて光明は一段と光彩を放つ。既にギョウの門に移さるるれば光気素の必要はなく、気光素は益々栄え行くなり。故に全界は悉く一体にして如何に行動すとも、光気素の生ぜざるが故にすべてのものを破壊することなく、悉く安全に保持せられて安楽の度はいよいよ加はる。されど一朝是を犯さんとして光気素の行ひをなすもの現はるれば、忽ち退けられて遠ざけらる。故に悪魔の影は到らざるなり。是即ち大自然の法則なるによってなり。汝等諸子の世界と雖も気光素の世界とならば、光気素の悪魔は是を犯すことあたはざるによって、他の方向に移り行きて犯すことあらざれば、安楽となることは異論の余地なし。光気素の世界とは即ち悪魔の世界なり。悪魔とは光気素なり。光気素はびこれば気光素は遠ざけらるるやと云ふに然らず。気光素は唯沈黙をなし居りて光気素のなすがままにまかせ居れど、決して亡ぼさるるものにあらず。先に語りし如く光気素は変化自然にして、気光素は不変化自然なるによってなりと承知せよ。仮に大自然を神と見るならば、変化自然は悪魔と見なして可ならん。ギョウの門は不変化自然なるが故に先づ神の世界なりと見るも差支なし。変化自然の中に住居なし居る汝等と雖も、不変の自然が影をひそめざるがゆえに、諸子は安らかに生活を営み居るなり。されど変化自然のたえやらぬ間は、不安より不安の連続にてわたり居ることは、是即ち悪魔と仏との対立なるが故に相対関係となりて、一日も安からぬ思ひに化せられ居るなり。されば人間すべてが飄然大悟して不変化自然に同化することを得ば、変化自然は忽ち亡びて人間は悉くが安楽に化せられ、不安は何日か除去せられて幸福となることは異論の余地なかるべし。よって汝等は諸子はこの事柄をよくよく悟りて、一日も速かに大自然のふところに抱かるる工夫を考へなば、何日かは希望は果さるること疑ひなからん。今や諸子の世界は二〇何億人かの住居なし居ると聞く。この人類が一体化して気光素の世界を現出するならば、忽ち極楽浄土とか或は天国とかが現出すること火をみるよりも明白なり。わづか二〇何億人かが住居へる微々たる場所を、今尚治むることあたはざる諸子の愚や嗤ふべしと、悪魔は云ふならん。彼是と論議に論議を交へて空しき光陰を過し居るのみにて、何等なすべきことを知らず、武器を製作て互に生命を奪はんとして、其にのみ熱中なし居りては、何日かは枕を高くして眠る日の来るべき。破壊の機械を作り破壊の薬品を考案せるものを、学者とか智者とか称賛してもてはやし居る間は、到底平和は望まれざるなり。実に危きことならずや。斯るものを発明する隙あらばその学問を平和の方向にむけては如何。

×

非ログインユーザーとして返信する