未知日記講話集   神の世界には秘密というものはなし    教主寛大講義



未知日記講話集      大霊界とは  神の世界の秘密はなし
教主寛大講義


 秘密と云ふ言葉に対しての意味を先づ考へざるべからず。汝等が思ふ秘密とはかくすと云ふ方面に解釈なし居りては、正しき秘密の意味を認識すること難からん。我の語る秘密とはかくすの意味にあらず。顕現(あらは)さんが為のそなへを云ふなり。是等に関しては未知日記前巻に語りをきたれば参照せば可ならん。秘密とはものを収拾して、予めそなへをく必要ありてなされたるものにして、顕はさんがためのそなへなり。汝等諸子の秘密とは備はりあるものを長くかくして、密かに蔵しをくの意味とは、我の語る意味との相違なり。所謂密接なる関係、人と人との交はりが密接なる交はりをなすと云ふ秘密に相当す。先づ、このこの事柄を認識して推理せよ。現はさんがための秘密と、かくさんがための、秘密との相違は先づかくの如し。然るに汝等諸子の世界は隠さんがための秘密が、余りに多きため世を混乱に導くなり。よく聞くところなるが芸道に於て是は秘伝なるが故に、伝ふる事を得ずとて教へをこばむもの多し。故に長き年月の間には秘伝は消滅するなり。秘伝の徳を世に現はさずば、秘伝の価値はなかるべし。小学の生徒に大学の事を伝へたりとて、却って小児を苦めるのみにて何等の価値なかるべし。秘伝とは即ち斯くの如きものにて伝ふべき者には伝へ、伝へて益なきものには却って害とならん。知らざるものには知らしめてこそ、其徳は顕著(あらはる)れど伝へずば何等の価値なからん。神の世界にはみな其々の分野に応じて法も授け、すべてを隠すと云ふことあらざるなり。汝等諸子は己の心の醜きをおしかくして表はさず。是をながく蔵し居るが故に、汚れを多くして清浄とはならざるなり。是秘密なり。即ちかくす秘密にして、現はす秘密にはあらざるべし。諸子は埃を長く部室の中に蔵して何の益かある。座することさへ困難ならん。汚れは早く掃き出して部室を清浄ならしめては如何。宗教者は是を懺悔せよと称し居るなり。大切なる魂を持ちながら、是を塵埃の中に埋めをきては、魂の徳は現はれざるべし。斯る事は小児と雖も察せらるるならん。然るに諸子は其を知りながら何故魂を浄めざる。徒に塵埃を蔵す秘密者となる勿れ。
 保存すると云ふことと、密かに隠して世に知らしめざる秘密とは、同じ意味の如く思はるれど、是等の理は諸子も解釈することを得るならん。又医師の毒薬劇薬を蔵して、是に鍵をかけて収めあるも是等は秘密にあらず。神の秘密と云ふは、恰も医師の毒薬劇薬を蔵するに等し。神には決して惜しみてかくすと云ふことはなされざるなり。皆其々の理由ありての事なればなり。無より有を生む、その無のはたらきを秘密と云ふなり。無の力によって有の力をあらはす其無は、即ち秘密より現はす秘密にして、是惜しみての秘密にあらず。仏教に於て真言秘密と云ふは、無より有を生む方法を授くるによって、名づけたる言葉なりと我は思ふなり。禅門の教外別伝と云ふも是と同様の関係あるならん。詳細は宗教者の言葉によって教へをうけよ。我等多くは語らじ。兎に角無言詞より有言詞を生む、即ち無言詞とは蔵せられたるものにて、有言詞とならば取り出されたるが故に、そのはたらきも実在化す。故に無言詞は秘密にして、有言詞はその秘密より現はるる力なりと知らば、秘密の理は察せらるるならん。

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