未知日記講話集  如意階をはなれて何処にその三  教主寛大講義

未知日記講話集   如意階をはなれて何処に行くかその三                    教主寛大講義


  入魂して移されたる魂は、一時的にして是は永久ならざるなり。入魂したる魂はその階に於て暫く任務をなし業終はらば、引き上げられて又も無言詞界の行に服するわづかの間なるによって、長き任務はなさざるなり。恰も旅して宿をかさぬると同様なりと知るべし。 十流界に相当する汝等諸子は、過去現在未来の何なるかをも知らざれど、九流界の最低階に移されたる魂と雖も、過去現在未来のすべてを認識なし居るによって、己に架せられたる使命をよく知る。例へば母胎をかりて生れ出でたる赤子は、生れながらにして既に己の何なるかをよく認識なし居るによって、生れながらにして父母と語る事すらなし得らるるなり。母胎をはなるれば忽ち任務に服す。斯る事を聞くとも汝等衆人信ずることあたはざるべし。されど事実は然あるなり。是等は如意界より母胎に宿されたる経路と、母胎の中にありて肉体整ひたる経路をも、母胎の中に於て認識なし居るが故に、形整ひて母胎を離るれば、忽ち己が本分に従ひて任務に服するが故なり。汝等諸子は釈迦が生れし時七歩歩行(あゆみて)て、天上天下唯我独尊と語りしは、神とか仏とかなるが故なりと思ひ居るならん。九流界の最低位に置れたるものにして生れながらに、己に架せられたる任務に服すと云ふも、恰も釈迦の其と同様の関係なりと知らば、如何に汝等の世界と九流界との相違の甚だしきを感ずるならん。未知日記に於て九流界の少児と雖も釈迦と同様の智識そなはると語りしもこのことあるが故なり。此智識の程度より延長して考ふれば、九流界上位の人間ともならば如何に勝れたる智識の具はりがあるやに一驚を喫するならん。汝等衆人の智識にては到底予測しがたからん。九流界に於てすらかくの如し。まして其以上の階に置かるる人種の程度は到底予測し難からん。されど斯る勝れたる智慧を有するとも神にはあらざるなり。
  この事より神になりて何なる事ぞなど口にすべき心は起らざる筈なり。汝等諸子は人間に生れ人間とは斯るものかとの思ひより、人に生れて何になることぞなど云へる愚言を吐き居るなり。智識の程度が進むに従ひて人間より人と移り変はるに従ひて、人の人たる道を知るに及んで、はじめて人の味を知るに至らん。その時出づる言葉は人と生れし喜悦を感ずるものにて、人と生れて何なることぞの言葉はここに至つて消滅す。せめてその程度迄肉体を有する間に修行しては如何!
 過去の何なりしかを知らざるによって、未来の如何になるやを知ることあたはざるなり。唯現在に囚はれ居りては、何になる事ぞの余儀なき諦めにて終るの他なかるべし。人に生れて何になる事ぞの諦めにて終らば万事は窮す。窮すればすべてを放棄して静止するの他なかるべし。かくなれば死したるなり。死するなかれと教えへしはこのことあるによってなり。死して何になる事ぞ。死しても生きるものは生きるにて永続的なり。然してその後は苦肉を重ぬる他なからん。寧ろ同じ何になる事ぞの明めならば、楽より楽を求むるの方向に向はば却って安かるべし。汝等衆人心の持ちかたを変へては如何 !


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