覚者慈音1551   未知日記 第九巻   因果論  人身篇  第三巻      インショウ、ミキョウ貴尊講述

覚者慈音1551
未知日記 第九巻 因果論       
第三の巻
心霊篇 
第五十      自然の法力と不自然の法力    
        インショウ、ミキョウ貴尊講述
            2019・11・28


 全宇宙は陰陽交々交はりて現出したりと思ふならばそは誤りにて、終始始終なければ作り出されたるものにもあらず。されど太陽系宇宙はその中より別れて現出なし来りたるものなるが故に、すべてのものは陰陽関係にて現出なし来りたるは、是自然の法則なるによってなり。始めなく終りなきものは、陰陽呂律の関係も亦あることなし。陰陽呂律の関係なければ宇宙は現出せざるべし。然らば何によってか現はれ来りしやを先づこのところより考究せざれば、自然の大義は判明せざるべし。始終なきものは始終あるものを作る。是不思議と云ふの他なからん。されどものに原理なくして構成することあらんや。ここに至ってすべてを考ふる時、智者も学者も是には適確なる解釈をなし得るものあらんや。始終の定めなきものが、始終の限りあるものを作り出だせしと見なして考ふれば、唯不思議と云ふの他答ふるすべは知らざるべし。是等の事に関して確実なる教へをなし得るものは、神より他に知るものはなからん。今是を現在の学説にて示めすならば、全宇宙は微分子の集合によって現はれ、其が斯く変化して宇宙を構成したるならんとの論旨を以てするの他なかるべし。然りとせばその微分子なるものは何によって現はされしかと追究せば、微分子が現はされし以前はなかるべからず。始終なき全宇宙の原理は其のみにて適確なる解釈とはならざるべし。
 我、前講に於て語りし如く全宇宙は無始終霊子なり。無始終霊子は霊を造り、霊は微分子を造り。然して其等が次第に種々様々の結合法則によって、次第に構成されて宇宙は生じたりとの説明をなしたれど、是を更に深く考察してその無始終霊子なるものを、如何なるものが是を組織せしかと聞くなれば、終始なきが故にこそ現はされ居るなりと云ふ他なからん。ここに至って是を説明するには、言葉なき言葉にて現はすの他なからん。その詳細は教主寛大によって説明せらるることならんと思ふが故に、我は是以上の事は省略すべし。(寛大が最後に説かれる大霊界の意)
 所謂鳥が先か卵が先かの理論となるなり。されど事実は無始終霊子なるが故に、終始なきことは是確かなる理論にして、其以上の追求を受くるならば教主によつてのみ教へらるることにて、我等の分野ににはあらざる事を承知しをくべし。世人の中には座禅して自己の見性を計り居る人もあるならん。不立文字とは言葉なきことばにて己が性を知らんとする方法なるべし。是等は自然の法によって根原に帰りて、己が源を探り出ださんと計る法にして、是等も自然の法則に従はしめんと計る術なるべし。自然の法とは斯くの如きを云ふなれど、是があやまてば逆法となり、正しければ順法となる。

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