覚者慈音1197 未知日記 第十巻 帰途案内記 大序の巻 NO 53  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1197
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 53


                  セイキョウ貴尊 講述
                    2019.7.22


 魂は空にはたらき実に働く。故に両道にまたがり居る姿は是魂なり。故に魂は低くは心と肉体にはたらき、大きくは全宇宙に通ず。所謂全宇宙に通ずるとは即ち霊に根を張り居るが故なり。よってはじめに語りし如く人魂は、霊地によつて根をふとらせよと教へしなり。ふとりたる人魂は身心なる枝葉を出し花を開らかせて、名誉の花を咲かせて後輩者の為に世を益して終る。然してふとりたる人魂は霊地の力によって、更に全宇宙に拡がり行きて更に後輩者を導く役目をなし居ると知らば、心魂霊の中間にたつ接続魂なるものに対しての理論は察する事を得るならん。故に尊きものは魂なり。神を知らずとも己に与へられたる魂を神とも仏とも思ひて、是に信頼し居らば美はしき身心の枝葉は空しからず。汝等が地上に永久その力を与ふるに至らん。是を唯我独尊と云ふなり。
 されば己が心を魂にむけて働かせとの意味に対して、世人は今尚不審をなし居るならん。我等の語る心を魂にむけよと云ふは、肉体を忘れて心のみを空にはたらかせよと云ふにあらず。是に対してすら世人は考へをあやまち居る事を我等は知る。心を魂にむけよと云ふことを聞きて世人は肉体を忘れて反対の方向に心の眼を向けよとの考へをなし居るにてはあらざるや。心は魂と肉体との中間にありて接続根なり居るが故に、根にのみ眼をむくれば肉体はおろそかとなる。肉体にのみ囚はれ居らば魂はおろそかとなる。この両者をつなぐ役目をなし居る心なるが故に、世人の考への如くなし居らば、右ともつかず、左ともつかぬ底の行為となりて唯さまよふのみにて、何等なすべき法を発見することあたはざるならん。

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