覚者慈音1195 未知日記 第十巻 帰途案内記 大序の巻 NO 51  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1195
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 51

心と魂の区別


                  セイキョウ貴尊 講述
                    2019.7.22


 肉体を傷けて痛みを覚ゆるは是心のはたらきなり。所謂神経と云ふは心のはたらきなり。不動心は是を治癒する力を与ふるはたらきを有す。故に魂の強き人はいささかの病苦もその魂の力にて治癒することを得るなり。是によつて魂と心との区別は知り得たらん。世人は日々心のみはたらかせて魂にははたらきをなさしめざる如く思ひ居れど、事実は魂は潜在のはたらきをなして表面化なし居らず。徒らに心のみが迷ひて表面化なし居ると知るべし。
 我、かく語るとも世人には未だ解し難き点少なからずあるならん。肉体健全なる時代にありては聊かの病苦に対しても、一服の薬を用いず放棄なし居りても何時かは治癒す。此事に対して世人は如何に思ふや。肉体健全なるが故にいささかの患ひに対しては薬石を用いずとも、健全なる肉体はこれを治する力あるによってなりとのみ考へて、其以上の考へはなさざるならん。潜在なし居る魂があるによって、その魂のはたらきが肉体を治癒せしめ居るとの考へまでなすに至らば、薬石を用いて病の治癒する理由は察せられる筈なり。薬石は肉体の欠乏せる部分を補ふのみにて、病を治癒するものにあらず。肉体の欠陥を薬石によって補充なし居る間に、魂は病苦を治癒なし居る事に思ひを致さば、魂の存在は悟ることを得るなり。
 例へば肉体を負傷してその箇所を外部より黴菌に冒されざるやぅ為し居れど、その薬は負傷の箇所を治癒する効能はあらざる対して、潜在し居る魂がはたらきて、負傷の箇所を完全に治癒せしめ居る故に根治するなり。物云はず語らず。されど作用は斯くの如く不言実行なし居る事に対して、世人は感謝することありしや。宗教心の必要なる点は其意味ここに存す。肉体の精力旺盛なる時代にありては形あるものにのみ囚はれ居りて、形なき蔭のはたらきには無関心なるが故に、すべてを肉体に信頼して日々をすごし居るは一般の習性なり。さればこそ年を重ぬるに従ひて生活の為に悩みを感ずればここに至って不安の念を生じ周章狼狽(あはてふためき)て何か空なるものを尋ね求むるに至るならん。すべてを肉体にまかせて空なるものに重点をおき居らざる人は、斯る場合に処して世を呪ひ怨み果は自殺などのあやまちを犯すに至る。もし是が空なるもののはたらきを認識して肉体にそなへ居らば、斯るあやまちは犯すものにあらず。如何なる場合に処しても動ぜず世の中を巧巧みに渡りて安き日を送るは、是空実一体のはたらきをなすによってなり。されば己に与へられたる大切なる魂を早く発見したる人こそ、世に処しても勝利者とならんこと疑ひなしと断言して憚らざるものなり。

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