覚者慈音1191 未知日記 第十巻 帰途案内記 大序の巻  NO 47  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1191
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 47
                  セイキョウ貴尊 講述
                    2019.7.21


 我、斯く説明し来る時世人は思ふならん。魂は霊によって天界に運ばると云ひし事も嘘偽にあらずと。霊智は全宇宙神の世界に迄通じ居ることの理由も亦是にて察することを得たらん。完全なる稔りを得てはじめて天界に移さるる事も察するを得るならん。魂稔らざるが故に身心を地上に置かれあることも亦察するを得るならん。斯く語らば早く死するものは如何との疑言を口にするならん。是等の理は屡々語りあれば説明する要もなけれど、世人は手近き処にまなこをむけ見よ。今稔り居る柿の実は熟せずして地におち居るにてはあらざるか。これを見ば我語らずとも自づと諒解することを得ん。故に多くは語らじ。


 其は別として霊地に植えつけたる人魂は接続なして心と霊との両者を結び、然して己に架せられたる役目をはたさんが為に接続魂ともなり、又是は主要魂ともなるなり。謂はば霊地は魂を作らんが為にはたらき、心は魂を育てんが為にはたらく関係より、又新らしき考へは浮ばざるや。ミキョウが接続魂は大切にして唯我独尊とは是を云ふなりと説きたることを更に考慮し見よ。
 前書に語りたる接続根は心を指したるにすぎざれば是は独尊にあらず。謂はば根によつて茎に稔らせんが為の接続根なるが故に、尊きことは尊とけれど、魂の場合とは又異なる趣を有し居ることに留意せざるべからず。霊と心とをつなぐ接続魂はその魂こそ主要なるものにて、その主人公となるべき魂こそ、即ち汝に与へられたるものなれば其以上の尊きものはあらざるべし。故に唯我独尊は汝の魂なりとの理に帰着す。
 又前書に語りたる心と肉体は地球にて、亡ぶと云ひしことも察するを得るならん。然りとせば残るものは魂にすぎず。魂は霊に従ひて永久不滅の理も従って察するを得ん。汝等地上にありて米を作りしは、汝等が地上に任務をはたさしめんが為にをかれたるにて、是は汝等が天界に上る経路の一種にすぎず。是に反し魂を拡大するはその任務を果したる徳によって、更に天界に新らしき任務をなさしめんが為にをかれたる現はれなりと知らば可なり。汝等の諺に「豹は死して皮を残し人は死して名を残す」と云ひ居るにてはあらざるか。人は名を残すと云ふは即ち汝等が地球に残存する間に正しき行をいとなみて其徳を残すことを指すならん。即ちその名誉とは心の稔りを指すにて是を我等は米にたとえおきたり。肉体の藁を以て心の米を作ることを肉体によって名を残すと云へる意味に解釈せば、米とは後輩者を育つることを指すと思はば可ならん。然して其後は魂を天界に運びて、更に人間としての新らしき任務を行ふことを意味すと知らば、すべての人道は何なるかをも知り、又人間は何のために地上に置かれたりやも知ることを得ん。

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