覚者慈音1190 未知日記 第十巻 帰途案内記 大序の巻  NO 46  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1190
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 46
                  セイキョウ貴尊 講述
                    2019.7.20


 されば肉体信仰に囚はれ易き世人にこの事を語るも詮なしと思へど、宗教者にあらざる我等が任務として此事を語りをかずば、世人を天界に案内することは難きが故に語りをく迄なり。されば是を諒としていささかにても世人の智慧を増大する事を得るならば、我等の喜び是に勝るものなし。世人は怠らず努め励みてこの域に到達せんことを専ら祈る。即ち心と霊とをつなぐ接続根は是魂を中間にをかざればなし得るものにあらず。接続根改め接続魂に化せしめて然してこの両者を一体化せしむれば、身心魂霊の四つは完全一体となりて安楽の妙味を味ふことを得る一大事の方法なれば、よくよくこの説明を聞きて完全に我ものとなさんことに努力すべし。


 さて人魂を霊智と云ふ大なる畑に植えつけて、その魂より心と云ふ根を出さしめ、然してその心の枝葉が花を開らき、然して心の実を結びて後是は枯れはてて終りとなる。されど魂は霊地にありて肥りて尽きず。是を譬喩にうつすならば畑に甘藷を植ゆるに等し。是はのび行く枝葉をつくる目的にあらず。要は藷を肥らすにあるならん。先に語りし米は藁を作るにあらずとの譬喩の反対となるなり。
 草花に於ても亦球根を植えて花を開らかせ居るに等し。花は枯れても球根は地下に残ると同様の譬喩と思はば可なり。米は空間に藷は地下に其々稔らせ居るにてはあらざるか。魂を霊地に稔らするにも心と云ふ枝葉をのびさせずば芋は肥らざる如く、魂も亦大きくはならざる道理を先づ脳裡にうつして今後の説明を聞くべし。汝等の地球に於てすらかくも手近き処に汝等の修養修行の道を示めし居るにてはあらざるかに思ひをはせよ。天の理はかくの如く大には全宇宙、小にしては地球に迄及び居ることにまなこをむくれば、すべての原理は一に帰着すと云ふことも従って思ひ浮ぶならん。先にも語りし如く魂を霊に化せずば、智慧は増大するものにあらずと屡々語りしは此理によっても察せらるるならん。世人は前説を聞き居る時徒事(いたづらごと)の如く聞き流し居たる事も、今この事柄を聞くに当って、更に新しき考へをなすに至りたらんと思ふなり。我等もこの事を語らんがために従来種々様々の事柄を語りて現在に及びたるも、是一つの経路を辿り来りたる現はれなりと知らば可なり。

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