覚者慈音1115 未知日記 第六巻 光明論  光明論下巻 巻の十 完結篇 教主寛大講義

覚者慈音1115
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    2019.6.30


 とにかく此装束を完全に着用するを得ば、始めて真の人間の本分は尽されたるなり。仏教者は是を仏と云ひ菩薩如来と様々むづかしき言葉を用い居れり。されど我に云はしむれば、是にて人の樹は実を結びたるなりと云ふにすぎざるべし。
 情の肌着、愛の中着、慈悲の上着を重ねて信仰の帯をかたく結び、然して霊光の冠を戴き、自由の沓をうがち救ひの笏を手にもちたる汝の姿は神々しく見ゆるならん。かく厳然たる姿整へば黙然として手を拱きて居に安んずるを得ざるならん。汝は今是等の装束を着用して如何なる感じを抱くや。楽しきか。苦しきか。はた窮屈を覚ゆるか。また有難しと思ふか。忝なしと思ふや。勿体なしと考ふるか。然らずば唯言葉に現はし難き心理状態と化せられたるか。茫然としてなすべき術を知らざるか。この境涯は筆舌にて語る事あたはざるべし。この心境こそ大覚至神の境地と云ふなり。汝等外出にあたって服装を改めたる気分は其場限りなれど、神衣を纏ひたる心持ちは永久変ることあらざるなり。是霊光の威徳優れたるによる。


 この衣を纏はざるものよ。聞くべし。情と愛と慈悲心は自己を中心と考えへては生るるものにあらず。自我をはなれて始めて生ずる特性の心なりとは、汝等にも合点することを得るならん。この心がけを有する人に対して誰か敵意を抱くものあらんや。是に向ひては尊敬と服従の他なかるべし。己自ら強いて他の上位に座せんと欲せずとも推されて却て上座に位さるるにはあらざるか。自ら福徳そなはりて世に施しをなさず、その福徳の権威にて世を威圧なさんと計るは汝等の真実の意志なるべし。斯る愚なる条件にては世は救はれざるなり。汝等も早くめざめて斯る心を捨てて情愛慈悲の衣を纏ひ、信仰の帯をしめ霊光の冠自由の沓、救ひの笏を受けて世に処して遺憾なく救済の方策を行ひて、世界を安養楽土たらしむることに努力(つとめ)よ。是、衣を受けざる者のためにすすむる教訓なり。
 衣を纏ひたる者よ。汝等は今より命を奉じてたつべし。汝等の任務は重し。軽率なる振舞あるべからず。汝等世に処するにあたり我注意しをく事あり。そは後にも語る信仰についてなり。汝等の世界は宗教信仰の結果種々様々形の上にあらはれある或一種の誤信多く、其が一種の習慣性となり居りて大事の信仰に支障を来す点尠からず。其がために我の説くところについて害を生じて少なからぬ面倒を惹き起すことあり。故に是等の事柄の二三を注意しをくべし。

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