覚者慈音1086 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第三章 フクの門 神は実在ならずして無限の力ある空の実在、空の存在と知りて信仰をもとめよ  テツシン貴尊講義

覚者慈音1086
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 フ ク の門

神は実在ならずして無限の力ある空の存在と知りて信仰を求よ


                  テツシン貴尊 講述
                    2019.6.23


 フクの門には神の命を受けて多くの神僕集り居れど、汝等の眼には映ぜざるなり。されど見聞者の姿の見ゆるは汝等と同等の位置に置れたる者の集りなるによってなり。汝等は信仰の度加はるによりては見えざりし物を見、聞かれざりし声も聞ゆるに至らん。
 慈音よ、汝初めて欣情と会せし時と、今日の欣情と全く別人の感を抱くならん。始めの彼女は胸中に一種頑固なる塊を抱きて是を如何ともなす能はず迷ひ居たるに、今は全く其塊はぬぐひ去られたるを汝はよく知るならん。故に教主は彼女に欣情の名を授けて戒律の門に入る事を許されたるなり。なさんとしてなるべき事ならず。神の徳に浴して初めて正しき道を歩み得ると知るべし。汝等は現実の世界におかれたるにより実在のものを信ずるが故に、偶像を拝すれども空間をたのむ力はうすし。されば釈迦キリストは空間を実在化せして信仰の道を得せしめんと計りたるならん。汝等是を認識して神は実在ならずして無限の力ある空の実在空の存在と知りて信仰をもとめよ。(貴尊傍点)即ち信ぜんとせば汝等は如何に尽力すとも其存在と姿を連想することを捨つる能はざるにより、神の力の広大なるを信じて其力を深く深く信仰せば、神を信仰する結果となりて大なる恵みは汝等が身に栄光を注ぎ給はん。信ずる力の度加はらば栄光の度も従って増し、其度頂点に達して初めて正しき神を見るに至る。是を大悟したりと云ひ、又至神したりとも云ふなり。己が修行即ち信仰に依て至神せずば他より説明せらるるとも其は話を聞くに過ぎず。話にて満足は得られざるべし。
 我等の教へは美味なる食品を語るにすぎず。願ふ処は汝等自ら探ね求めて満腹せん事を祈るなり。我等は食の在処を教へたれば行きて食せ。食とは信仰なり。喰ふは信仰の食椀を重ぬるなり。満腹なす迄幾椀も重ねよ。決して食滞することなく日に月に此食を摂取せば、元気旺盛となるは必然なることを我等は保証す。信仰と云ふ食料には不作豊作の憂なければ食料難に陥る心配なければ餓死する憂ひなし。喰ひても喰ひても尽る処なく心配も亦あらざるなり。
フクとは福徳なり。金銀を要せずして得らるるはフクの門の力なれば是を学するもの餓死することあるべからず。沈着安堵してたゆまず信仰の弁当を食しつつ溌剌たる元気を養ひて目的の地点、即ち神より命ぜられし業務を果して汝の故郷なる神の世界に立ち返るべし。

 

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