覚者慈音1083 未知日記 第六巻 光明論 下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第三章 フクの門 テツシン貴尊講義 三満一欠の世界とは

覚者慈音1083
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 フ ク の門
三満一欠の世界とは


                  テツシン貴尊 講述
                    2019.6.23


 次に第二流界より法網をくぐりて自由に出入りし得ると云へるについてなるが、汝等は法網をくぐると法網をのがるるとの誤解より二流界にも斯る悪人ありやと考ふるならん。是は汝等の世界には法律を破るとか、或は法網の欠陥を探ね求めて悪事をなさんと企む輩のことなり。汝等の世界に作られし人間の法律には隙の多きは当然なるべし。神の作りし法網にはいささかの隙もあるべき道理なし。されば二流界の者は法網を破りて来りしにあらずして法網に順応してくぐり来りしなれば、如何でか悪なるべき道理なきなり。如何に智識優れたりとも奸智にては此門を通過する能はざるなり。故に二流界の者は此門の見学者にむかひて斯くも教へたるなり。然れば修行の法をあやまたずば、斯る自由は得らるる理由とは如何にとの質問なるべし。是ぞ我等が待ち居たる処なりし。汝等の電燈を明滅するには開閉器を廻転するならん。如何に強烈なる電気網を世界中に張り廻らしたりともその発電所の源を閉塞せば忽ち停止するならん。即ち原理は是に類すると思ふべし。是を渡るには気波と光波の接続によって生ずる気光素或は光気素電気を、色波の開閉器を巧に応用して出入りせば感電の怖れなく出入りは自由なりと知るべし。
 我斯く語らば極て簡単なる如く思はるれど事実は仲々至難なり。凡て事実を一言詞するは易けれどその一言を実行に移すは難し。汝等この理より先づ考ふべし。是を肉体に引用して工夫を凝すことなり。汝等の神経について考ふれば得る処あらん。
 汝等が他人に対する時平静を保つ能はざる場合と案外平静なりしに自ら不思議を抱く事の経験はあらざりしか。又彼は善良にして親切なる人なれば肌身を許すことを得れども、今一人は悪人なれば肌身はゆるされじと云ふ如き体験はあらざりしか。
 即ちフクの門は斯くの如くなる道理ありて神より特に許さるる善人と、然らざる悪人との区別ありと思ふべし。所謂親子兄弟夫婦親友等に於ては、その神経を許しあふによって相互は親しみを得れども、気心の判明せざる他人は相互に何かは知らず一種の塊(かたまり)に似たるものを胸中に感じて侵入を許さざるならん。故に汝等は修養によって斯る凝固(かたまり)を除去して如何なる他人をも許し得る人物にならざれば完全なる人間とは云ひ難し。たとえ善人にもあれ或は悪人にもあれ自由に受け入れ得る修養を完成せざるべからず。我、斯く云へば汝等は云ふならん。フクの門は悪人を通過せしめざるにはあらざるかと。其は汝等の誤解なり。

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