覚者慈音1078 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第三章 フクの門 テツシン貴尊講義

覚者慈音1078
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 フ ク の門


                  テツシン貴尊 講述
                    2019.6.21


 此問に対して明確に返答なし得る者は幾何ぞ。若し汝等の心に連想し居る如き神の姿が常住坐臥汝等の面前に現はれ給ひて不絶見守り給ふと仮定して考へ見よ。然る時は大なる威厳に圧倒されて汝等には到底面前に接するに堪えずして、悲鳴をあげて逃げ惑ふは必然なるべし。そは如何なる理由なるか。即ち汝等の心には気をゆるむる生活を望む故ならずや。即ち帰楽に暮したしと願ふは汝等の心の要求にして是を常に口にし居るにはあらざるか。汝等の欲する気楽とは気を安らかの意味ならんも、その安らかの気分が追々嵩じて果は懦弱となり、身体をも害する基礎となる。気楽となれば油断は免がれず。油断すれば悪魔は侵入し来り気楽が却て堕落の原因を生む親となる。我、汝等に斯る質問を発せしは如何なる理由ありてかと云ふにそは他ならず。フクの門によりて徹底せる大悟と徹底せる正しき信仰を得せしめんと思へばなり。汝等はよく云ふ彼は非常に元気なる人なりと。果して正しき元気なりやを観察するに、然らずして肉体の健康を指しおるなり。我の語る元気旺盛とは真実大悟したる人にあらざれば元気旺盛とは云はれざるなり。肉体の気体強きのみにては気力強きにて元気にあらず。元気とは大なる気、又本来の大気を云ふ。
 空源体性別れて光源体制気源体性となるとせば、光も気に属し気も光に属す。されば元気とは光気一体ならざるべからず。光気一体の人となりて其が完全無欠の作用をなす人にあらざれば元気旺盛とは云ひ難し。汝等の世界に斯る人は指折り数へる程なるべし。我等が説く処を学びて真実の元気を求め得て、飄然自覚して真の明らかなる生活を営まば家業の能率は向上し一家一国は安らかなる生存は永続せん。汝等の求むる気楽は気の楽みにあらずして気ををとす気楽とならん。気をゆるむべからず。気をみなぎらすべし。我、斯く語らば汝等は気を張ると誤解するならん。例へば汝等力をこめて物を支へる底の気ばりかたを元気と誤認する故に、常に気ばるは堪えがたしと考ふるならん。そは己に有する気力の程度を超越したる気力なれば忍び難きは当然にて程度を超すと云ふことは平均を欠く故なり。平均を欠くは一方に傾く故に倒るるはコゥの門にて学びしならん。フクの門にてはその度を認識せしめんと欲す。

×

非ログインユーザーとして返信する