覚者慈音1077 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 三章 フクの門  テツシン貴尊講義

者慈音1077
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 フ ク の門


                  テツシン貴尊 講述
                    2019.6.21


 汝等此門に入るを許されて先づ第一に眼(まなこ)に映ずるは各界より集り来りし見学者の余りに多き事に驚きしならん。そは此門より以上の修行が非常に重要なるによってなり。されば汝等はいよいよ奮励努力して是等の見学者に劣らざる用心肝要なるべし。此処に集れる者はすべて三流界以下の者共なり。其は兎に角先づ此フクの門にては全くギョウの影は失せてあとなし。残るは遠くにコゥの門の面影はいささか見ゆるならん。然して此光体気体の末端が二分され、其が又二分され更に又其が別れたれど、線と線が交叉しあるによって網の眼の如くに繫がりるに依て、唯みれば数百枚の網を重ね広げたる如く感ずるなるべし。見る者は理解するを得れども見ざる者の為に我はかはりていささか語りきかせん。
 即ち網を幾枚も重ねて張り廻らせしと想像せよ。然し其網の目が細かきもあれば、又目のあらきもあると思ふべし。此網は光と気といろいろの線にて作り或は太く或は細く入り交りたるを連想すれば大抵は推察せらるべし。然してその光網気網の形状に於ては著しき変化は見られざるも光度気度の変化はめまぐろしく行はれつつあるなり。色彩に於ても同様なりと知るべし。然してこの光網気網の目より様々の形の異なれる光と気体と色波が交々放射せらるるを見るべし。今多くの光の放射の中に気波色波が互に交りつつ離れ、離れては又交はる。その都度光も気体も色彩も様々異なる変化を示めしつつあるを見るならん。又その形状の変化に於ても一様ならざる事も知らるるならん。フクの門をギョウ、コゥの門と同様に前後左右上下の区別なく居ながらにして百歩を一見に見きはむる事も亦不思議なるべし。是にてフクの門の眼に映りし概要は説かれたり。
 されば是より見きはむる能はざる事柄についての説明に移るべし。フクの門の光網気網色網の説明に移るに先だち、汝等にいささか質問をなさんとす。そは他事にあらず。汝等人の面前に於ては威儀を正し、人なき場所にてはくつろぐと称して品行を乱し、然して己自ら曰く、常住坐臥窮屈なる行為をなし居りては肉体は耐え難しと。勝手気儘の理屈をならべ居るは何故ぞ。教育者然り。宗教者然り。大臣も亦然り。斯る事にて人を教へ導く手本たるを得ると思ふか。その事柄については儒教者は比較的厳格なり。されど我のきかんと欲する処の意味は他にあるなり。人と神と何れが尊しと思ふかは汝等も即答に苦まざるならん。然るに人の面前は憚り、神の面前にて不品行不行跡は如何なる理由なるかについてなり。我、思ふに汝等朝にめざめて夜、臥す迄分秒の隙間なく他人と接するとせば汝等は如何になすべきか。その苦みには堪え難からん。汝等他人と接する機会は稀なるに依てくつろぐ時間の余裕あれど、神は汝等と接するには寸分の隙もなく分秒の時間も休み給はざる事に心づかざるかと云ふことの質問をなすなり。眠る汝等を守りては片時も離れず見守る神は何処に慰安を求むるかを汝等は考へし事ありやを尋ぬるなり。

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