覚者慈音1027 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の八 大悟録 上  第三章 キュの門  テツシン貴尊講義

覚者慈音1027
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第三章 キュ の 門


               テッシン貴尊 講述
               2019.6.07


 先づ霊を陰陽師、魂魄を貧富二者の小児とし、心意を二者の父母として考察すれば如何なる結果をもたらすか。この場合の陰陽師に相当する霊は他の場合とはその趣を異にす。故にこの言葉は神の言葉として考察せざるべからず。即ち霊は未来を看破する力を持てば、霊に相当する陰陽師の言葉は正し。陰陽師の言葉には富者の魂(こん)は飢ゆれど貧者の魄は食あまるとあり。されば飢ゆるとは何を意味するか。即ち修養の力なしと解釈せば可なり。何となれば肉体に重点を置く故なり。富者とは肉体慾を満足せしむるにきゅきゅたるは魂の特長なればなり。故に肉体に囚はれ居りては修養の道に入り難ければ肉体亡ぶれば共に亡びんとさとしたるなり。是に反し慈悲に富める貧者の魄は現在の肉体に重きを置かず、未来のためを考ふるによって修養を盛にして広く取り入るるに努めるによって飢えずして食あまる即ち、肉体を離るるとも死せずと。
 この道話に対して汝等は魂魄を二親とし心意を子供として考察せば、この道話は成立せざる事に留意すべし。何となれば此道話は小児に重点を置きたるによってなり。故に霊は心意に伝へて表面より内部にはたらきて魂魄を阻害したるために魂魄の一致を欠き、果は魂と魄は分離して魂は亡び魄のみが霊に従ひて往生すと云ふ結果に陥る恐ある事をこの道話にて教へたるなり。されば汝等他人と交りて如何なる軽き言葉たりとも修養のためには聞き洩さず取り入れて、是を分解して融和を計り肥料として立派なる結実を結ばしむべし。第三の門を開かばその心構へにて見聞せざれば無意義に終らんことを慮って斯る道話を引用して参考資料として提供したり。されば第三の門を開くべし。
 先づ第一に汝等のまなこに映ずるは何なるか。八方十方にまなこを配るべし。見よ。気体が前方に現はるれば、後方にには光が現はれ、左方に色波が現はるれば、右方に霊波が現はるるを見るならん。又その現はれかたは一様ならず。或は部分的に或は全般的に光波と気波と色波と霊波もその悉くが現はるる毎に、形状を異にするのみならず色彩も亦異なりて一様ならざるを見るならん。然して或一種の無光無気無色のものが断間なく通過してたゆるなきを感ずるなるべし。

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