覚者慈音1003 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の七  霊光と霊感の区別を如何にすれば知る事を得るか  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1003
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
霊光と霊感の区別を如何にすれば知る事を得るか


                セイキョウ貴尊 講述
                2019.5.26


 魂のみの零感、又は魄のみの零感、或は心意のみの零感は過誤多き事は以上に述べたる如くなるが、今一つ説き洩したるは心意の零感なり。もとより心意の零感の如き軽重浮薄なるものは取るに足らねど、汝等は是にすら惑はさるるを見る故に此正体をも知りおきて参考とせよ。心意の零感とは恰も水面を流るる浮流物の如きものにて、一時的感受性の現出に過ぎざるなり。斯る現象は無智者或は迷信者又は神経過敏なる人に多く見らるる現象なり。斯る現はれは其人が偶々何かの都合にて無聊を感じてごくわづかの間何も考へず空虚となり居る時、入り来る現象にして心が休めば意に感じ、意が休めば心に感ずるなり。例へば霊媒者などから汝の宅には何々の霊ありなど聞かせられたりとせんか、今迄何等の事もなく暮せし家なるに其話が暗示となり居る事を知らず、偶々心意の何れかが沈静しある時、錯覚作用にて暗示が頭をもたげて眼球に映ず。此映じ方には千差万別の相違あるなり。若し斯る人二三人集れば甲は火の玉を見たりと云ひ、乙は何々の声を聞しと云ひ、丙は何々の姿を見たりなど実に笑話を聞くに等し。是を応用せんとする悪人は己何も見えざるに不拘、見ゆる如く装ひて何かの策に出でんとなす不逞の徒輩も現はるるなり。
 事小なりと雖も汝等是を等閑に附すること勿れ。千丈の堤も蟻の一穴との比喩もあるなり。心意の零感など取るに足らざるを大々的に神懸りなど称し居るもの少なからず。是を応用して自己の利益を謀らんが為に尾鰭を附けて尚も誇大に吹聴して迷信より迷信に陥れんとして、却て正道を歩む人をも魔道に陥るるとは沙汰の限りにして憎みても尚余りあり。汝等斯る愚なる事を信ずること勿れと、かたくかたく戒むるなり。又汝等の中に斯る現象を有するあらば深く是に注意を与へよ。然して彼を迷夢より醒めしむべし。是汝等の任務なり。わけても神経過敏症の人は斯ることの為に悩まされて狂人となる恐れあれば、殊更迷信なることを認識せしめて斯る病に陥らしめざるよう未然に防止しやるべし。

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