覚者慈音974  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の七  正悟を得んとせば如何に修行すべきか  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音974
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の七 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  下
正悟を得んとせば如何に修行すべきか


                セイキョウ貴尊 講述
                   2019.5.09

        
 さて自問自答に於て魂魄は一体となることは暫くの練習によりて達するを得る故に、多くの人は是によって既に頭腹一体の行は成就なしたりと誤認するなり。然れども唯魂魄一体のみにては其悟は魂魄の悟に過ぎざるを以て正悟を得るは難し。されば教主の仰せられたる頭腹一体の境地迄進まざるべからず。教主の仰せられし頭腹一体とは心意魂魄霊の五個を一体とする法を説き示めされたるなり。即ち汝等が称へ居る四次元の法則に合ふと知るべし。自問自答は三体の法に合ふと悟らば可ならん。汝等の世界は時間空間距離あるにより三世論は成立なせども、是無くんば斯ることは成立せざるなり。過去と云ふは現在の延長にして未来も亦同様の理論を生む。故に過去現在未来はすべて現在に帰せしむることを得。然れども現在と云へる不動体のものを発見するならば現在と云ふも成立せざるべし。動ずると云ふは時間を意味す。ここに何物も成立はなさざるべし。時間あるによって現在は動ず。時間無くんば動も不動となる理となるなり。汝等にはいささかのみこめざるならん。されどこの三宝四光の事柄を僅少にても認識なし居らずば正悟を得ること難し。此事に関しては自在論より此書に至る迄の間には屡々語りあれどそは一部分にすぎず。よって此篇よりは三宝を離れて四光論を主眼としてすべての論理は四光の法則を標準として説明せんとす。よって汝等に於ても今迄の三宝による論説を離れ思ひを新にして聞くべし。然らざれば理解は困難となるによってなり。
 元来三宝と四光との相違は非常にへだたり多ければ、三宝に是を適用して考察せんなす時は却て心を労する結果に終る恐れあればよくよく心して学ぶべし。汝等今後此講話を聞くに当って、先づ心に準備しをく必要あり。そは他ならず。汝等の肉体を一本の樹木の如くにして前後左右に無数の顔無数の手無数の足あるものと思ふべし。然りとせば何処に歩むも前後左右の区別を知ることを得ざるならん。又何処を見るとも亦前後左右の区を明らかならしめざらん。然して其人は渺々(びょうびょう)たる砂漠に立つ。此処に眼に触るるもの一つとして無く空には太陽の光も星の影だに見えず、時計磁石の用意なければ方角は勿論知るあたはざらん。用意は先づ是に止めん。汝等の姿は斯るものなりと仮定して考へ見よ。然して斯る場所を汝等が世界なりと思ひてすべてに観察を下さば汝等が今迄学び来りし諸々の事柄は成立なさざるべし。何となれば過去現在未来の区は消滅して唯何物とも知られず、言葉に云ひ現はすを得ざるもののみ残るならん。斯く語らば汝等は云ふならん。地上を蹴って空に飛び上りて大地に帰らば是にて過去現在未来とならんと。然り其にて三世論は成立す。是大地を区分して相対となしあるによってなり。我、此理を汝等にさとらしめんが為に故意に天地の区を残しをきたり。されば今暫くこのままにて話を進むべし。
 

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