覚者慈音959 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論  逆視法より見たる人生観  セイキョウ貴尊講義 巻の五    内観と外観の関係

覚者慈音959
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
逆視法より見たる人生観


                セイキョウ貴尊 講述
                   2019.4.30
                      228番


 例へば我と彼と争ふ時、彼は是なりとてゆづらず、我も亦是なりとてゆづらずばここに処突はまぬがれじ。即ち汝等が云ふ第三者として冷静なる頭脳にて是を考察し見よ。当事者の思ひの外なる名案あらんとの言葉の如く、第三者とは自他を離れたるを指すならん。此自他を離れたる境地は即ち自他一如の姿なり。自にも組せず、他にも属せざるは逆視法の行ひなり。大智に順応せんとならば百物一体ならざるべからず。汝等日常の生活に於ても此心となりて世を渡るならば、人類間の平和は保たるるは必至なるべし。然るに自分のみ人の先駆者たらんとして様々の計画を計りて外観は人の為世の為と称して、帰する処は他を脚下に踏みつけんとなすは汝等現在の国の有様なり。是を逆視法より考察し見よ。他の為に尽さんと云ひて、自の為に計る生活は、自を虐げて他も亦虐ぐる結果を招来す。故に成立は困難なり。彼等は最初より他をたくみに引き入れて己に従はしめんと計るは最初より己は己を欺くに依て、直ちに発覚なすは当然なるべし。ここに例話を以て理解を与ふべし。
 或国に奸智に長けたる男、何とかして己の栄達の道を構ぜんとて日夜苦心し居たりしが、漸く一策を案じ一体の金仏像を買ひ求め、とある富豪家の床下に忍び入りて其像を地下に埋めて帰りしが、程経て彼は修験者の姿に変装し、富豪家の門に立ちて報謝に出で来りし小者にむかひ、汝の宅には重病者ありて医薬の効もなく日夜苦み居るならんと。小者然りと答ふるに、彼は訳もなく治癒すべきに惜むべものかな。医薬にのみたより居らば死する他なかるべしと云ひ捨て飄然と立ち去りたり。小者は斯くと告げしに此家の人々八方に手分けして彼の跡を追ひ、やがて偽修験者は富豪家の屋敷に招ぜられたり。やがて怪しき祈禱の後金仏像は堀り出されしは云ふ迄もなく、数日の後病気もぬぐふが如く治癒したるに当家の主人多額の報酬を彼に贈りしが、彼は手にも触れず其儘貧者に施せよと云ひ棄て立ち去りたり。主人は行者に住居を問へば樹下石上を宿とする雲水の身なれば定まりし住家はなけれど、今暫く此向の山の堂に起居せんと云ひたるに、是を聞きたる近郷近在の人々彼が許を訪ね病気平癒の祈禱を乞ふ。彼快くうけがひて祈禱加持をなす。不思議に治癒する者数を知らず。彼は報酬を受けず唯供物のみを受くるにぞ彼の名声は益々高くなり、果は国主の耳に入りたり。恰も其時国主の妻病ひ居たれば彼を招きて祈禱をなさしめしに忽ち癒えたれば、国主は是に多額の報酬を与へしも受けず。悉く貧しき者に施したれば国主も亦彼を敬ひて国事の事迄彼に談ずれば、彼の曰く、我は修行者なれば国事はあづかり知る処にあらねど、法の上より考察せば斯くなさば可ならんと答へば正しきに国主は益々彼を深く重く用い、民も亦彼を敬慕し居たりき。

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