未知日記講話集 こだま会講演日記 第三十二回 坂本通博 筆記
(人に会う方法) 招魂の法 指で枕に大きな〇を書いて、その中に小さな〇を書き、その小さな丸の中に女を呼ぶ時は、横にー、男を呼ぶ時は縦にーを引きながらその名を呼ぶと会へる。 生きた人、死んだ人は問わない。 名前を呼んだら厳戒の辞を三回称える。 泰岳師はアビラウンケンと三度唱えてならった。 之は無の音... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第三十二回 坂本通博 筆記
(人に会う方法) 招魂の法 指で枕に大きな〇を書いて、その中に小さな〇を書き、その小さな丸の中に女を呼ぶ時は、横にー、男を呼ぶ時は縦にーを引きながらその名を呼ぶと会へる。 生きた人、死んだ人は問わない。 名前を呼んだら厳戒の辞を三回称える。 泰岳師はアビラウンケンと三度唱えてならった。 之は無の音... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第三十一回 坂本通博 筆記
五月二十七日 宇宙は大きいが帰する所は一つ、虫けらに至るまで同じ組織そなはる。 破壊とは組織されたものが分解して力を失っただけで消滅しない。 すべての微分子に至る迄皆働いている。休みなく働く、動くから響きがある。 故にすべては音だ。 全宇宙の音が聞こえないのが幸せ。全宇宙は騒音。 之から清音になほ... 続きをみる
五月十三日 無の音楽 無の音 すべてのものは無からあると言ふものを生み出して来る。ここに音の大事なところがある。 有は現実にわかる。之は確定(これは終り、論議の余地なし) 無は不確定 不確定は大事。之を知る修行。 火事は起らないかと用心している。之無。出来てしまったら之は仕方がない。 之は(有... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十九回 坂本通博 筆記
四月二十九日 肉体信仰とらはれるなと言ふは無理。肉体がある以上肉体本位になるは当然。 現実的に考へるは常識だし又自然である。然し一方にとらはれるといけない。 陽には陰がついて圧力には引力がついてまわる。それを一方に現実性ばかりかかづらっていると、一方には空のものがお留守になる故に一体化せねばならぬ... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十八回 坂本通博 筆記
四月十五日 全宇宙は一分一秒も休まない。 動いているから響きがある。 響き即ち音。 信仰があやまっている。 神仏の有無を肉体的から信仰している。肉体の信仰はあやまち多し。 之は改むべし。ここでの話は肉体を離れた事のみを話て居るものを宗教者の話の様に肉体から出た精神の信仰と考へている。之を離れること... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十七回 坂本通博 筆記
四月一日 恋人と逢ふ夜の我は楽しきに 彼等ははれて昼にすりばち と言ふ古歌あり。何事もひそかにすること多し。之はすべて相対性の世界故に表裏あり。口に出す事と心の中とが違ふ。 他の動物は交尾期になると人の前も昼も夜もない。 人は交尾は夜にはして、子を生む時は騒ぐ。之を人間は得意にして居るが、動物... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十六回 坂本通博 筆記
三月十七日 この世の中の事すべてを知ることは神も出来ない。 善悪の区を知りながら悪を行ふ人あり。物事を知りて何するか。 宇宙の広さは如何に学問が進んでも究める事は出来ない。そんなに広くても、小さくてもあるものはある。(ないものはない) 生も死も取り去り生死の中に悟りあれば生死なし。神から生まれて神... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十五回 坂本通博 筆記
神様からさせてくれた事とくれない事とをわけて記しておき、させてくれた事が多くなる様にする。それ丈徳が貯まる。病む人は病む。致し方ない。私もなほしてやろうとは思はないが神はなほして呉れる。世の中の事が一々考えていても分かるものではない。考へずに一途に修行するがよい。 過ぎ去ったことは帰らぬ。これを... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十四回 坂本通博 筆記
泰岳大師来臨 三月一日 かなしうれしで泣き笑ひするは人情 泣くことを知らぬ、泣くのがおかしいと笑ふもおかしい 皆の思ふ神は違ふ。 神は声も姿も何もない。然し物を習ふとするとおぼえさせなかったり、行をしようとすると後から教へてくれたり。形も姿も何もないので喧嘩もできない。 行は二人前さしてくれる。 ... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十三回 坂本通博 筆記
orminea様より借景する 曼珠沙華 二月十八日 円海貴尊講 信仰とは受理したと言ふこと。 腹の中たましひの中迄受け取りましたと言ふ受け取り証の如きもの。 頂いたからありがとうございましたと礼を言ふ。 この信仰の程度が上っ調子であってはならぬ。口先ばかりの受け取り。 たしかに頂ましたと言ふ人は... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十三回 坂本通博 筆記
昭和二十五年二月四日 泰岳大師来られる 神様はに眼に見ゆるものにあらず。何かわからぬ気丈。気身体を抱いて全身を抱いて居る。 そして、してよい事だけさして呉れる。 電気、雷の様なもの。 神様が来るのでなく、神様の力が身体に伝わって居ると考える。 信じ方の如何による。悪い方へ信じれば悪い事を教えて呉れ... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十二回 坂本通博 筆記
ermineaさんの写した写真をお借りしました 十二月二十一日 宇宙は引力と圧力により組織されて居る故に(一方にひかれやすい) 呼吸をする。吸、圧力。 此の理より宗教の他力自力等がある。両者にかたよらず中道を行くべし。 一方にひかさるれば一方は空虚となる。引力と圧力とを平均させて、用ひなければよく... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第二十一回 坂本通博 筆記
十二月十日 厳戒の辞の発声の仕方の注意 人間がものに懲り欠けると他の事は無関心になり、その事ばかりにとらはれる。之が心を乱すもと。常に心が平であるとそんな事はない。 その一つの事を一生懸命やっていると一種の錯覚作用おこしそれに対してそれに対して又智慧が湧いて来る。そして一つの大きな発見をする... 続きをみる
十一月二十六日 仏教で言ふ三法(仏法僧) 仏は大師 法は良薬 僧は小友なるが故に帰依す。 小さくとれば身体全部が三法なり。 たましひは即仏 心即ち法 肉体は僧 たましひは医者 法=心が薬となり又メスともなる。肉体は患者に相当す。 人間は之丈は霊(宇宙全土) (神)の徳によりさずけらる。 たましひ... 続きをみる
十一月十二日 慈音先生お祝ひの後 小乗仏教のためにいろいろの迷信が生じた。 「いのちはあすをも知れず。世は千年のたくわへをせよ」 いのちとは肉体のことを指したるにて、世はと言ふはたましひの事なれば、千年経っても死なない修行をせよと言ふなり。之は大乗。 神道の中の荒神様(罰をあてられる神) たけみか... 続きをみる
十月二十九日 慈音先生行を許さる 世人の信仰は肉体本位だから肉体にとらはれがちとなり、肉体を主に考へるから迷ふ。限度ある肉体のある信仰は死すれば修行が無になる。肉体を捨てた信仰となるべし。 肉体をはなれねば本当の信仰は得られぬ。之は一大事。信仰とは進行とも書ける。進まねばならぬ。心と智慧が進まね... 続きをみる
未知日記講話集 こだま会講演日記 第十七回 円海大師講義 坂本道博 筆記
十月一日 死ぬと言ふ事はすべてを終って前途がなくなった事、安心したこと。 前途へ前途へと希望にもえて居るから生きる力が強くなる。先へ先へと希望はたえない。 日々の家庭生活肉体の生活に追はれて無駄な心配をしている。之が道草である。ゆっくりでよいから道草はくはないで前途の本当の安楽の方向にむかふ様に歩... 続きをみる
九月十七日 肉体と心と魂と三味一体となり之に霊が伴ふ。之即ち四次元の法則に合う。三味では三段論法にすぎない。 之に霊をくわへてすべてを霊に依って働かす。霊は純にしてすべてに和す。善悪、大善凡てに合ふ。肉体にも心にも魂にも霊が働いてはじめて三味一体になる。 先ず己を正しく知り然して外に向けば先方から... 続きをみる
八月二〇日 気に掛かると言ふ事は一つは魂が働いた時、又心が働いての時、さらに今一つ肉体から心に及ぼした時の三種あり。最初の魂が働いた時は直ちに氷解する。 気に掛かって迷ふは心と肉体の関係が多い。 原因に気が付いて処置すれば之はなほる。 たましひに気に掛かって解決つかぬのは一番むづかしい。 たましひ... 続きをみる
八月六日 たましひと心と肉体 たましひと心の関係 心頭(心燈)を滅却すれば火も亦すずし。 人間の心のともしびが消えてしまえば火も亦すずし。 これは出来ることに相違ないからこんな言葉ができたのかも知れぬ。 今の人はここまでの信仰がない。 信仰を先に学理をすべし。 天草の乱の頃のキリシタンのような信仰... 続きをみる
七月二十三日 信仰者の中には多くは神又は仏を自分で評価して信仰に入って居る者多し。何によって評価するや。伏鼠信仰、彼方の神はきく等の信仰(あちらかじりこちらかじり) 之は肉体から起こる信仰。これは信仰にならず。 驚愕信仰(おどろかす、びっくりさせる)山獄信仰にも(驚愕法) 人間は潜在意識の中にある... 続きをみる
五月十四 日 平常心是道也 油断・・・・・・ 信仰なき故出来る 人はそれぞれ大事なもの、 「神にかへる卵」をもっている。 人間は自分からさとって、是が悪かったとさとってはじめて悔ひ改めが出来る。 注意されてもあきらめられない。(他から・・・・・・宝)他から注入されたものは力がない。之... 続きをみる
二月五日 法力の基礎は霊の作用による。 霊から魂魄→心意と上昇して始めて現はれる。 原因を知って明らむれば法力は簡単。 人間は悟らぬから易が必要。迷をとくは易。易を知って迷う人はおかしい。悟れば易は不必要。 物には順序があってそれを中途から考えるからわからなくなる。 人間には命数定まる。然し肉体に... 続きをみる