未知日記霊話集千八百三十五回  三世と四世論 NO252 白痴は精神の奇形児なり。然して精神不具者は肉体不具者の比にあらずしてその数はきはめて多し。汝等その不具者の一人にてはあらざるか。然るに汝等はその点に留意せざるにかかわらず肉体のみ囚はれあるは悲しむべきことにあらずや  セイキョウ貴尊講義

         

三世と四世論
         未知日記第八巻
           第一の巻
           過去の巻        其の9
       第六  親より祖父母え順ぜよ              
      リョウジャ、セイキョウ貴尊講述


 大凡肉体的観察と精神的観察との相違より世の中の人類観の法則には実間的と空間的との対立によって是非の区別明らかならざること多し。彼の奇形児の場合に於ても是を肉体的より考察するならば科学の参考資料として、実に尊ばるるならん。然りとせば産みたる父母は手柄者として学会よりもてはやさるる人物なるべし。是に反し精神的より観察すれば彼は人間性にあらずして畜類に属すとの見地より彼等を低く評価するなるべし。されば此の説は双方共に一理ありて是非の区別明らかならず。されど人並みに生れざりし奇形児こそ迷惑を感ずるなり。死したるは幸なり。柳はみどり、花は紅ならば、其は自然の美なるにもかかわらず、汝等は異なる花を作りて是を珍重愛撫するは恰も多くの奇形児を作りて愛撫するに等しとは感ぜざるか。話をもとに復す。汝等肉体の親、地球の親、太陽の祖父母に恩恵をうけて奇形児ならぬ人並みに生れ居りてすら感謝せず。当然の如く感じて尚不平不満をとなえ居るは何事ぞ。其にても天理に反すとは思わざるか。人として感謝の心なきならば、其は他の動物にも劣るべし。犬にすら感謝の念あり。況や人間なるに於てをや。感謝の心は本能性なるべし。さればその本能性とも見るべき感謝の念をひきのばすは生中の生より永久の生にかえる道案内者とも見るべく、又生と生とを結ぶ絆とも見て可ならん。
 親より祖父母へ、然して祖父母より曽祖父母へと思いを廻らせば感謝の稔り健全となり勿体なしと云う結実と化す。されば感謝の心は拝みたくなる。汝等の拝むは願いに属し、拝み度しとの念は感謝なればなり。我等汝等に伝えんとなす所は汝等の心を広く一切すべてに運ばしめて、その中より汝等が好むものを択ばしめ、其に同化せしむれば是ぞ即ち汝等が有する天より授けられし使命なりとするによって斯くも語り居るなり。太陽の祖父母地球の父母に感謝したりとて、又感謝せずとも太陽も地球も何等痛痒を感ずるものにあらず。然るにかかることに勿体らしく論旨を進め居るも要は前述の如き理由あるによってなり。一家和合するも一村一国和合するもすべては精神の如何によると汝等は語り居りながら円満なる家庭も村も稀なるは何故ぞ。是同化の正しからざる故ならずや。同化と云う言葉は至極簡易なれどもさて是をなし遂ぐるは一朝一夕の事にあらず。すべてのものの真相をきはめ知りてのちならではなし遂ぐるは難し。すべてに同化するは水と空気なりと説きたる人あり。味うべき言葉なるべし。わけて空気は精神的に、水は肉体に同化するの意味なるべし。同化法に関しては追々語るべけれど此の講にはこのあたりに止めん。
 さて汝等は奇形児或は不具者に向いては唯不憫なりと口にすれど、内心は侮蔑の眼を向くるにて、彼に同化せんなどとは考えざるべし。汝等肉体の不具は肉眼に映ずるに依って、醜を感ずる結果なれど精神の不具者は白痴者を除いては他になし思わばあやまりにて白痴は精神の奇形児なり。然して精神不具者は肉体不具者の比にあらずしてその数はきはめて多し。汝等その不具者の一人にてはあらざるか。然るに汝等はその点に留意せざるにかかわらず肉体のみ囚はれあるは悲しむべきことにあらずや。我汝等をして悟道を速やかに得させんと計り、却って説明を乱雑にして頭尾不調となりたれば、汝等は理解に苦しみて頭をなやましつつあるを申訳なしとの念を起し居れど実は汝等の智能を広むる方法の一策として斯くはなしたる事を、ここに始めて告白するなり。されば汝等此講迄を深く考究せよ。即ち父母祖父母祖先に順応して何を得んとするやを深く考えよ。

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