未知日記霊話集千八百二回  帰途案内記 NO218 二流界は未だ絶対界にはあらざるが故に、絶対に属する相対界なりと思はば可ならん。されど世人の世界より見る時は、二流界は将に絶対界となり居るなり。すべての道理を明らめ尽したる世界なるが故に、なきものをもありとして作り出す能力をそなへ居るが故なり セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の四
最終の巻 
二流界、仮称霊空界
セイキョウ貴尊 講述
                     


 全宇宙は始めなく終りなきが故に何になる事ぞの連続より他にあらざるならん。是即ち終始なきが故なり。是を要約すればこの全宇宙は何になる事ぞの疑問詞に他ならざるべし。もし始めあり終りあるものならばこの言葉は成立せざるなり。汝等の肉体にて考へ見よ。その言葉に答ふる、術は考へ出さるるならん。何となれば何になる事ぞときかれなば、生れて死して其にて終らする為なりとの答へにて終りとならん。されど全宇宙は其より其へときかれなば、幾廻転なすとも尽きざるが故に、その言葉は無限大となる。故に無と云ふものの言葉に対しての説明をなすことは得難し。無にあらざる無の言葉を繰り返へすの他なからん。いささか難かしき話を語りたり。されど是にはテツシン貴尊が語らるる、絶対界の説明を聴聞する参考資料として聞きをかば、従って貴尊の意のあるところの諒解の手引きとならんと思ふが故なり。
 或人の語るを聞けば絶対とは、凡てのものの混合したる一つの塊の如しと語り居るを聞きたり。彼の説によれば有無すべてが結合して一体化したるものなれば、有ならんとせば有となり、無とならんとすれば無となる説なり。故にありと思へばあり、無しと思へばなしと云ふを、絶対と云ふと語り居るなり。斯る事を聞けば一見道理の如く思はるれど、其は一つのきはまりにして絶対と云ふにあらず。絶対とは即ち無言詞霊子を云ふにて、その言葉も絶対にあらず。されど言葉にて云ひ現はさんとせば斯く語るの他なからん。是等に関しての理論は、後に貴尊によって証明せらるる由なれば、我は是迄にて止めをくべし。
 二流界は未だ絶対界にはあらざるが故に、絶対に属する相対界なりと思はば可ならん。されど世人の世界より見る時は、二流界は将に絶対界となり居るなり。すべての道理を明らめ尽したる世界なるが故に、なきものをもありとして作り出す能力をそなへ居るが故なり。空より実を現出せしむる方法が完備して、最大もらさず是をなし得ることを得るによってなり。世人の世界に在りてはなさんと計りてなし得ざる事多からん。二流界には斯る事なし。例へば一つの種子を蒔きて是を育て、花を開かせ実を結ばする迄は、長き時間を要すれど、二流界にありては忽ち是をなし得る事を得るなり。此界は既に時間空間の必要あらざるが故なり。なさんとせば忽ち是をなすことを得るも、時間空間距離を有せざる世界なるが故なり。

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