小冊子の印刷に取り掛かる

 

娘と近くのホ-ムセンタに行き未知日記全巻に載っている厳戒の辞の説明文をコピ-してきた。文字を拡大し、さらに掲載文章量を増やした為に枚数は29頁にもなった。僕は唯娘の作業を見ているだけでコピー機の操作は娘が一人でやってくれた。取り敢えずフアイルは100冊分買い込んであったけど、取り敢えず50冊分で1450枚をコピーした。途中印刷紙もなくなり店員の方に2回補充してもらった。おまけにコピー機本体からインクがもうすぐなくなるとの警報ランプが鳴った。時間も二時間余り要し作業を終えた。さてそれらを家に持ち帰って大仕事。印刷紙にフアイルの為の穴を空け、用紙を順番に揃え部屋いっぱいに並べ直した。嗚呼、50冊だけでよかった。100冊分も仮にコピ-したらこの老人の身体がまいってしまう。出来上がったら知人親戚などに配るつもりでいたが、貰ったものは外面では大変だったねと言いながら、内心は有難迷惑なんだろうな。おそらくフアイルだけを外し新聞紙の束にいつかきっと掘り込むんだろうな。それがもう眼に見えるようだ。当然誰も厳戒の辞の何たるかを少しも知らない。この男、だいぶイカレテしまい気違い宗教にすっかり染まり、全く困ったもんだと内心深く憂ふるに違いない。
 今、未知日記全巻で古本市場で12万の高値がついているなんて誰も知らない。まして各巻のどこに厳戒の辞が記載されているか誰も関心がない。いまここで僕は僅か12万と強調したけれど、本当の価値はそんなちっぽけな金額でなんか測れないんだ。行者にとってこの厳戒の辞は無限大の価値を持っているんだから。やがてそのことが解かる日がやって来るだろう。世の中の人は暢気な人が多い。やがて己の生命が尽きてガッタリと死んでいくんだろう。自分の死後の帰途がどうなっているかを少しも知ろうとはしない。一休禅師が「釈迦と云う悪戯者世に出でて 多くの人を迷わせにけり」と歌に詠んだが現在の人達も同様釈迦が説いた2000年前の極楽天国思想を真に受けてそれを無理矢理に信じ込もうとしている。なぜ、老い先短い老人達はこの「帰途案内記」を読まないのか。僕には不思議だ。本当に理解に苦しむ。

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