未知日記霊話集千七百五十二回  帰途案内記 NO170 世人の世界の医学が肉体にのみ囚はれて、精神的療法の研究が未だ進み居らざるが故に、加持祈祷護符などの、或は迷信妄信の宗教等がはびこるなり。科学者たるもの唯是等を排斥する以前に、精神医学の方向より研究なさば、是等の邪教はすべて影をひそむるならん セイキョウ貴尊講義

未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 170
更に八七六流界に到る迄
精神療法について       
セイキョウ貴尊 講述
                    


 其よりは其暗示によって、己の悩みが清除せらるる道理を深く研究せよ。所謂催眠術療法の効果あるは、何に基因するかを認識せば、加持祈祷護符の必要はあらざるべし。世人の世界の医学が肉体にのみ囚はれて、精神的療法の研究が未だ進み居らざるが故に、加持祈祷護符などの、或は迷信妄信の宗教等がはびこるなり。科学者たるもの唯是等を排斥する以前に、精神医学の方向より研究なさば、是等の邪教はすべて影をひそむるならん。愚なる事を論議せんよりは、寧ろ賢なる研究を盛にせよと教ゆるものなり。正しき宗教は正しき暗示なるが故に、正しき方向へ導く。されど邪教は正しからざるが故に、正しからざる方向へ転落せしむる事に留意して、世を正しき方向へ進ませんことを我等は願ふものなり。其は兎に角上界には斯る愚人はあらざるが故に、世は開らけ人類は益々進化なしつつあるなり。
 所謂己を進むるものは己にして、彼にあらずとの論理より、すべてを我ものとして道をわたり居るが故に、進歩の程度は顕著にして退歩することなく、向上の一途を辿り居るなり。心界意界の人はすべて自力の行に方向をむけ居るが故に、共に一方的となり居れど、既に六流界ともならばここに又大なる隔あるなり。即ち心界の人は自を先とし、他を背後にをく修行をなし居るが故に、他の力は自に従ふ。されど六流界(心意界)は自他一如の修行なるが故に、心界意界とは全くその程度その組織も従って異なるなり。もとより心界意界ともなれば悪魔等の侵入は許さず。故に悪魔に犯さるる憂なけれど、智慧の程度が未だそなはり完全ならざるにより、相対的の摩擦によって心意界の如くなる程度迄達し居らざるなり。既に心意界ともならば相対の世界にあらず。さればこそ彼の隠形の者が、彼の地に渡りたる時正しき隠形の法を用いしに不拘、術は破れて望を達するあたはざりしなり。

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