未知日記霊話集千百七十六回 光明論 下巻 巻の十 セイキョウ、ミキョウ等が屡々愛に関して語りたれど、汝等は理解なしたる如く、又理解せざる如きうらみあれば我、今いささか説き聞かすべし 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 先づ肌着の情(なさけ)について考へをめぐらし見よ。汝等の情は情に似て情にあらざる事に気づくならん。何となれば汝等の情は帰するところ自己中心より出でたる情なればなり。我の語るは自もなく又他も無き情を教ゆるにて、情に区別を与ふるは真の情(なさけ)とは云はれざるなり。例へば汝等のいましめに云ふ「我身をつねって他のいたさを知れ」と云ふ情は正しき情(なさけ)にあらず。是絶対ならざればなり。正しき情とは他人に痛みを感ぜしめざる情ならざるべからず。されば汝等の情は一時の情にして永久にあらざる故に力も亦一時にて消滅す。永久消滅せざる情にして始めて情の徳は光彩を放つなり。汝等飢えたる者に一椀の食を施す情あれど永久飢えざらしむる情はあらざるならん。是汝等の情と我の説くところとの相違あるなりと知るべし。(原文は我の徳との相違あるなりと知るべし。)
即ち我の語る情は汝等が思ふ情の拡大延長なしたるによって、すべてありとあらゆる一切に及ぶのみならず、無しとなすものにすら及ばされば真の情にあらずと知るべし。我等の偉(い)なる肌着を汝等に纏はしむれば今よりは汝等の情心は従来とは異なるべし。

 次は愛の中着を纏ふべし。愛とは何ぞ。汝等の愛とは肉体を伴ふ愛なるにより、ややもすれば愛変じて憎悪となる。父母の愛にすら憎しみを伴ふ。愛すればこそ我児を鞭打つと云ふにてはあらざるか。鞭打つとは憎しみを現はせる姿なりと見るも差支なし。是を仔細に観察せば理は明らかとならん。父母の子に対する愛に於てすら尚かくの如し。まして他に於てをや。論ずる要なかるべし。汝等は真の愛を知らざるなり。セイキョウ、ミキョウ等が屡々愛に関して語りたれど、汝等は理解なしたる如く、又理解せざる如きうらみあれば我、今いささか説き聞かすべし。

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