未知日記霊話集  第六百十三回  帰途案内記  転界の巻 八流界の人類  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1294
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 149
更に八七六流界に到る迄
                 セイキョウ貴尊 講述
 

 先づ是等の事を語るに先だち、ここに一つの参考となるべき階名を仮に定めて、是によって順次語る事とせん。先づ汝等が住める世界を十流界と仮定して、是に階名を仮に身界と名づけ、九流界を身心界、八流界を心界と、七流界を意界、六流界を心意界、更に五流界を魂界、四流界を魄界、三流界を魂魄界、二流界を霊空界、一流界を神霊界、然して一流界を作りたる基礎的界を、神界即ち無言詞界と仮定して語る事とせん。斯く区分すれば世人は前巻に於て、我等が語りたる心意魂魄霊の事柄より推測して、是によつて其各世界の有様を想像するならば、従って朧気ながら認識する事を得もし、又其によつて智慧を磨く修養の資料ともなるならんと思ふなり。我等の望みは、世人の智慧を磨かしむるを主眼となし居るによって、斯くは階名を附して、一石二鳥の方法を案出して示めさんとなすものにして、唯宇宙には斯る処ありと云ふ、小説かお伽噺の如き事を語らんとするにあらず。此世界の事を聞く者読む者、其心して是によって修養の道を開らきなば、従って天界に来る順路も明らかに見ることを得んと思ふなり。
 さて世人の世界を身界と仮定したるは、如何なる理由ぞと云ふに、世人はすべて肉体本位にて生活を営み居る故に、肉体を主とし心を客として世を渡り居るによって、すべては肉体的の修養修行をなし居るなり。然るに九流界に至っては然らず、身心一如の姿なるによつてすべては、身心共に一致したる行動の生活を営み居る故に、是を身心界と仮名なしたるなり。既に八流界ともならば肉体の悩みは毫もあらざるが故に、心意の生活をなし居るなり。されど八流界は心に重点をおき、意を影として世を渡り居るによつて、是を心界と仮名したるなり。又七流界に至っては意を主とし、心を客としての生活なるが故に、是を意界と仮名なしたり。

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