未知日記霊話集 第四百七十六回  帰途案内記  大序の巻  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1152
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 8   清浄如意界について
                  セイキョウ貴尊 講述
              


 よく慈音が友に語り居る、「我の眼の前にくろき姿の者ありて眼をさへぎる」と語り居るは、これ即ち浮住界よりめざめて集り来れる魂の姿にして一人の人にはあらざるなり。
 我、はじめに慈音をこの所に導く時、彼の所に到らば「必らず悪き心を起し妬み怨みそねみ等の念を生ずる勿れ」と呉々も注意なしおきて誘ひたるなり。其は他にもあらず。此の場所に於て悪き心を起さば忽ちその思ひが現出するによって、その思ひに化せらるる危険あるによってなり。もとよりこの場所は清浄の所にて汚れたる者の出入りは許されざるなれど、万一この所に於て悪念を生ずる時は忽ち同化出現する恐れあるによってなり。仮にその処に於て雨降らばと思はば忽ち雨ふり来り、風起らばと思はば忽ち風吹き来り、加熱いたらばと思はば忽ち火焔にてやき尽さるる如き底の危険は免がれざるなり。よってここに案内し来る者の力乏しければ斯るあやまちにて取り返へのつかぬ結果をもたらすが故に案内する我等の任務は重し。
 例へば慈音がこの所にて座す時地におちはせぬかと思はば忽ち下界におとさる。故に其思ひを生ぜしむる以前に我等先に是を知りてその思ひを抱かせざるやぅなさざれば、彼を傷くる心配あるなり。故にいささかも案内し来る者の心を動揺せしめざるやぅ注意し居らざれば、危き事此上もなしと云ふきはめて微妙なる場所なりと知らば可ならん。
 例へば座してゐながら天に昇りたしと考ふるとせんか、その思ひが言葉に化せられざる間に、既に座しながら昇天する底の速さにて実行さるる故に、秒時も案内者は油断することあたはざるなり。又此所にて微妙なる音楽を聞きたしと思はば、言葉に組織されぬ間に既に微妙なる音楽は聞え、見度しと思はば是又言葉に組織されぬ間にその見度きものを現はす。実に神妙不可思議の場所なり。かかる所は全宇宙に数多ありて数にては計算なし難し。何となれば是は皆連続して各所にまたがり散在しあるによってなり。仮に是を清浄如意界と仮名して語ることとせん。是は言葉の都合にてかく名づけたれど、其のみにては正しき意味を現はし得たりとは云ひ難ければ、後に教主によって是が命名を願ふべし。其迄は清浄如意階と名づけて講演を続けんとす。故にその心して聞かれんことを !

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