未知日記霊話集 第四百七十四回  帰途案内記  大序の巻  セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1150
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の一
大序の巻 
NO 6
                  セイキョウ貴尊 講述
                    

 世人は一夜に百里を走る人ありと聞かされなば驚きの眼を見はるならん。現在さわぎ居る運動競技に於て何某は何百メートルを何分にて泳ぎ、世界一の新記録を作りたりと聞かされて、驚きの声を惜しまず賞賛なし居るにてはあらざるか。もし一秒間に五十里を泳ぎたりと聞かさるれば、其は神より他になかるべしと云ふならん。是等はみな標準を小さく考へ居るによってなるべし。宇宙の姿は余りに大きくして標準を定むることあたはざるが故に、如何に説き聞かさるとも唯脳裡をかすむるのみにて何等施す術を知らざるは、是人智の未だ遠く及ばざることなれば是非もなきことなり。されば世人は及ぶ限り智慧を大きくして且つ広くして、己の及ばざる底のことを標準として其によって否その力によって深く宇宙を観望し見よ。其にても未だ全宇宙の姿とその大自然のはたらきは尚も予期することあたはざるべし。
 我、かく語ればとて無謀の考へをめぐらすことなかれ。世人の中には木の葉を紙幣に変へるとか、或は大木に年中米を稔らすとか云ふが如き事を想像し居る無法の無智者は多し。斯る事は智慧を優秀ならしむるにあらずして、無法の悪戯事を考へ居るにすぎざるなり。大なる智慧と云ふは大自然に従ひて思ひを深くするにあらざれば、宇宙の姿を知ることは難し。今世人の世界より身を踊らせて月の世界に飛行するが如きことを想像して、其は智慧の広きことを考へ居ると思はば所謂其も浅智慧なり。地球より金星へ或は火星へ、或は土星へと一飛びに飛び上がる如きは或一種の機械を用いて、其によって飛行すれば訳もなきことなり。人間には鳥の如き翼なければ、翼の代用となるべき機械を用いなば望は達せらるる事は誰もが知るところ、故に智慧をはたらかせて機械を作らば其にて望は達せられることも当然なるべし。翼なくして肉体のみにて飛び上らんなどとは所謂無法の考へにて智者のなさざるところ、此理を悟りなば我の語る智慧を増大して宇宙の大きさを観望せよとの理は、推して知ることを得るならん。とかく世人の智慧は地球上にあるが故に、地球上の事にのみ囚はれて広き全宇宙を想像することあたはざるは無理ならぬことなれど、余りに地球本位に囚はれ居りては人間の本分は那辺にあるかすら知ることあたはざるべし。人身を有する間は人身の本分に基きて任務をなすは当然なれど、人間としての任務より更に進みて又一段と高き位置に進まんことを願ふとも、神は決してこれを斥くるものにあらず。何となれば神は人間より更に進みたる方向に向はしめんと計り給へばなり。

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