未知日記霊話集  第百九十三回  大霊界とは神の世界か  その5  教主寛大講義

未知日記講義第一二巻  大霊界       巻の四                        NO148
 大霊界とは神の世界か            その5                                                  教主寛大 講述


 其は兎に角汝等が心の五大鏡は明瞭にものごとを記録する力うすし。故に是等をみがき上げて銘鏡となすにあらざれば、天界の様を写しとることは難からん。五大鏡八大門の具備が汝等の肉体にもある以上、是を巧みに応用して修養の道を広くすべし。枝葉の横道を作ることなかれ。前の短歌の如く必要なきものをぬぐひ去らば弥陀の光明は輝くならん。忘るると云ふは記録したるものをぬぐひ去るによってなるべし。悪念を残すは悪しきことを記録して是をぬぐひ去らざるが故に、悪念の光明は残り居りて禍ひを誘発す。悪念とは即ち横道を作る故なり。順路の妨げをなす横道は作るべからず。又記録盤に長く悪きものを止めをくことを止めよ。早くぬぐひ去りて真の光明の威徳を輝かす方向に心がけ居らば、其にて望は達せられる道理あるなり。迷ふと云ふは記録盤を明らかにぬぐひ去らざるが故に痕跡を止めて不明瞭なるが故に迷ふなり。文字の上に文字を書きたると同様なりと知らば可ならん。
 又或信仰者が詠みたる短歌に「ちょの女が戴く桶の底ぬけて、水溜らねば月も宿らじ」と云ふを聞きたり。諸子はこの意味を知るや。ちょのと云ふ女が水をくみて頭にのせたる時、桶の底がぬけてその水がこぼれをちて彼女ははじめて大悟を得たりと云ふ。この信仰こそ大事にして得たる悟りこそ尊きなり。即ちすべてをぬぐひ去りて銘鏡となりたるが故に、宇宙の姿がありありと彼女が魂に映じたるによってなり。水充たされて月の宿り居る間は是心の迷ひにして、魂には通ぜざるなり。水溜らざるによって月も宿らず、即ち心動揺せざるが故に、魂に徹したる空の力のあらはれなるによって、彼女は正しき仏の姿にまみゆることを得たる喜びの姿ならん。すべてを捨てて大なる喜びを得るにあらざれば、覚ることは難し。汝等諸子、すべてを捨てよ。然して大なる喜びを求むべし。彼是と思ひ惑ふ間は空とはならざるなり。すべてを捨てて空となるとも、汝の魂は飛散するものにあらず。魂残らば光明は輝く。魂とは仏教者の云ふ弥陀なるべし。イエスの云ふ天国なるべし。我、先にテッシンの過去が記録盤よりぬぐひ去られて今はあらじと語りたるに対し、諸子はここに又不審を感ずるならん。ぬぐひ去らるると云ふ言葉は諸子の考へと我等の語る意味とに於て相違あるによってなり。諸子はぬぐひ去るると云へば最早何ものもなく消滅したりと思ふが故に、我の語りしテッシンの過去の姿がぬぐひ去られて、何ものも痕跡を止めざるやと思ふによって、もしテッシンの最初を知らんとせば何なりしかは、知ること能はざるならんと思ふならん。されど天界は最早テッシンに対しては必要なきが故にぬぐひ去り居れど、もし其が必要とあれば再記録して新しく現はさるる如きことは訳もなくなさるるなり。されどテッシンには最早かかる必要はあらざるによって、ぬぐひ去られ居る迄なり。テッシンの過去を汝等の世界の時間空間にて計算すれば、何極年か経過なし居るによって最早現在にはその必要あらざるなり。汝等は是を虚説なりと思はば思ふも可ならん。真実として考へ見る時は霊魂不滅の理は察せられる筈なり。この事柄より推理せば汝等が心に疑はば霊魂は滅し、信ずれば霊魂は不滅となる関係もあらん。信不信の力によって滅ともなり不滅ともなる。是は相対の考へにして絶対にあらず。信不信に不拘滅するものは滅し、滅せざるものは滅せざるなり。全宇宙の中には滅するものは一つとしてあらざるなり。増減変化によってその形を異にすとも根底に立ちかへらばすべては一なり。故に滅すると云ふも迷ひにして滅せずと云ふも迷ひなり。信不信に不拘滅せざるものは滅せざるなりと語りおくに止めをくべし。
 註 極年とは10の48乗で、億が10の8乗、兆が10の12乗

1極年 1000000000000000000000000000000000000000000000000

1兆年
1000000000000
1億年
100000000
100年
100

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