覚者慈音183 大霊界の転記あとわずか

 大霊界の転記作業は漸くこれで半分終わりました。ここまでお読みになられて皆さん如何でしたか。この大霊界の書を日本で読まれた人はおそらく100人、あるいは50人あるやなしの状態だと思います。そういつた意味で、ここまでお読みになられた方々はとても希有な方々なのだと考えます。大霊界を筆記された慈音先生と慈声先生は十ヶ月余りにわたって教主の言葉を書き留められました。大変な作業だったろうと思います。教主は二人の事をかように仰って居られる。


「慈音慈声は世間より見る時は、先づ狂人として取り扱はるるやも計られざるなり。されど彼等は今は止むに止まれぬ境涯に押し込められて、ぬきさしならぬ立場となり居るなり。行くべきか、帰るべきかすら知らずして、唯夢中に使命を果たし居るにすぎざるなり。夢中の人とは彼等を指すならん。第三者より見る時は斯くの如し」と


この書の後半ぐらいから慈声先生も教主の言葉を聞き取ることが出来るようになられ、自ら筆を運ばれたそうです。完結まであと2ヶ月を要しますが皆さんどうぞがんばつてください。僕も頑張ります。
かって、この未知日記の書を共同出版された中の一人であられる、坂井哲子先生から聞いた話に依れば、印刷会社は当初かなり手こずったそうです。本の特殊性もあり、また慣れぬ文語体の為か、作業は遅々として進まず、幾度も幾度もやり直し、漸く未知日記一連が完成したと先生から聞きました。いま僕の手元にある書の印刷会社の名は古沢勘助と書かれています。
ちなみに著者は    伊東慈音
    発行者は   衛藤 欣 
    発行所は   こだま会  となっています。
書籍は出来あがっても本を取り扱う書店がなかなか見つからず、神田の古本屋に預けた話を聞きました。結果、本は少しも売れなかったと先生は当時を回顧しながら笑って仰っておられた。母は自分の分、妻の分、そして僕の分と我が家の神棚の横に並べ、一冊ずっ綺麗にそれらを装幀し、本の書名をも貼り付け、それを読むことを日々の日課としていました。いまでは未知日記一巻目などはもうぼろぼろの状態になっておりますが一番愛着のあるものとなっています。
ところで本日(六月一四日)転記している箇所などは僕にはとてもむつかしく恥ずかしい話、ちんぷんかんぶんの状態です。誤記はないか。行列はまちがってないか。てにをはなどは間違ってないか、それだけはいつも細心の注意をはらっています。

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