覚者慈音1301 未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の三 上界の巻 セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1301
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 155
更に八七六流界に到る迄
                 セイキョウ貴尊 講述
                    2019.8.13


 さればこそ身心界(仮称)ともならば、先にも語りし如く、すべての組織は、完備され人智も亦従って進化なし居るなり。身心界は心を先とし、肉体を背後に置きての世渡りなるが故に、世は益々向上発展して尽る処を知らざるなり。是に反し世人の世界は如何 !
  肉体を先とし心を後に従へて進み居るが故に、世は益々混乱して滅より滅へと低下なし居るにてはあらざるか。所謂形あるものを重んじ、形なき智慧を背後にをきて、その智慧にはたらきをなさしめざるが故に、会者定離の余儀なきに、低下しつつなり行くは当然の箏なるべし。形あるものを永久保たんがために、種々様々背後の智慧より考案工夫してつくり出すものは、戦いの器となりて争闘より争闘へと、安からざる暗黒世界をさまよひ居るなり。肉体を重んじ心を背後にをく世渡りは危ふし。所謂提燈持ちを後に従へ居るが故なり。世人の世界は表面に平和を称へ、内面に刃を研ぐ。故に言行は一致せず。従って争闘の断間なきなり。理を非に曲ぐる世人の世界は、即ち戦ひの世界にて平和の世界にあらず。斯る事にて永久の平和は望まれざるは当然なるべし。
 肉体本位の信仰は斯くも不完全にして危き事氷上を渡るよりも尚危ふし。我、斯る宗教くさき事を語るには、深き意味を有するによってなり。肉体本位の人類に対して、肉体ならざる心魂論を如何に語るとも、解する事の得難きを知るによって、斯くも宗教くさき事を語るの余儀なきに、至りたるが故なり。もとより肉体本位の信仰より転じて、身心界に及ぶは是順路なり。今や世人の世界の如く、肉体本位の位置にをかれあるが故に、肉体本位の信仰は是非なし。故に是を進めしむるには身心の方向に向はしめずば、目的は達するものにあらざる事は当然なるべし。兎に角此理を認識して早く肉体本位の世界より、身心界に進ましめずば、使命を全うする事は難からん。

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