覚者慈音1287 未知日記 第十巻 帰途案内記 巻の三 上界の巻 セイキョウ貴尊講義

覚者慈音1287
未知日記 第十巻 帰途案内記       
巻の三
上界の巻 
NO 142
八流界の例話


                 セイキョウ貴尊 講述
                    2019.8.10


 彼は智慧すぐれたるものなるによつて、早くもその意を汲み取りたれば、神に対して反聞(問)の愚をなさずして、己の過誤を悟りたるなり。即ち神になりて、何になる事ぞの明らめは、余儀なき明らめなりし事を、ここに至って始めて悟り得たる故なり。彼にして神になりての後にて、神になりて何になることぞと明らめしならば、其は真実の明らめなれど、神にならずしての言葉は、前途に求むる一種の希望を抱く言葉にして、迷ひと疑ひは未だ晴れやらざるが故に、何か割り切れぬものの残存して、其割切れざるものを如何にかして解決せんと云ふ、望を捨て居らざるが故に、明らめんとして明らむるを得ず、悩みは彼の脳裡より離るるを得ず、払へども払へども其は失せざるが故なり。然るに彼は神の許に至りて始めて神を知るに至って、ここに始めてその影が消失してあとかたもなく失せたるによつて、嗚呼、楽しきと云ふ言葉に変ぜられたるなりと知らば可ならん。
 海には海路あり、空には空路あり、大海大空と雖も道を有す。されば人には人路なかるべからず。人生に人路あるが故に、是をふみて迷はざれば通ず。人生は空路よりも尚広し。故に迷ひも亦広からん。されば人生の人路を開拓したる神の導きに従ひて、人路を全く歩み尽したるものにあらざれば、人となりて何になるかの明らめは得られざるべし。人路を離れずば神路は得られじ。


 慈音此例話を聞きて有難しと洩したる言葉も例話の彼が、あら、楽しやと洩したる言葉に匹敵す。この例話によって慈音は始めてさとりを得たるなり。そのさとりとは何か。欣情よ、汝、知るや。慈音は人道全きをさとりたるなり。欣情にして是をさとりたらば慈音と同様感涙にむせびたるならん。然るに何か割り切れざるものを心に貯へ居りし汝の道は今尚遠し。早くさとりを得んことを望む。

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