覚者慈音1091 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第四章 センの門 神僕の働きとは  テツシン貴尊講義

覚者慈音1091
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第四章 セ ン の門
神僕の働きとは

                 テツシン貴尊 講述
                   2019.6.24


 すべて相対的の世界には対象となるべきものあるによって其対象となるべきものの変化なければ、汝等は無味乾燥として倦怠を感ずるならん。さればこそ向上発達も得られ又顛落退歩の悩みもあるなり。汝等是あるによって修養修行に勉みつつあるならん。絶対の世界には斯る事なきが故に汝等に説明をなすとも容易に理解せしむる能はざるなり。又強いて理解するの要もなからん。即ち小学生に大学の講義をきかすと等しければなり。すべて相対のものは絶対となりて其力其はたらきは極めて顕著となる事は汝等も科学によって体験する処ならん。汝等の小世界にすら知る処、ましてや神の世界なるに於てをや。唯想像するのみにて無限大と推するに任すの他なきなり。汝等帰り来りて真実を味へば知ることを得べし。
 さてセンの門に於て見る神僕と以前立体鏡にて見たる洗霊なし居たる神の使とには、業に於て力に於ても格段の差あることを知るべし。是等の事柄は教主の講話によって知ることを得るならん。大悟すれば講義を聞かずともすべては明白とならん。されど悟せざれば何事も難しきものなり。過去現在未来を離れざれば不滅の世界を知ること難し。三世を離れて四光四満の境涯に進まんことを祈る。
 先にも語りし如くフクの門を人間の神経と思ひて研究するならば、センの門は何に相当するかと云ふことなり。即ち神経に感じたる事柄の其々を仕分けして長所をとり短所は捨てて区分する事なれば即ち分別なるべし。此分別によってすべては処理せらる。是組織への一歩なるべし。怒れば扼腕し悲めば洟涙(ているい)す。是神経の波動による怒りを笑ひにまぎらし、悲みて涙をかくすは無神経者か虚偽者なるべし。肉体を有する以上神経は働く。神経ははたらく以上喜怒哀楽の感じあるは当然なるべし。されど怒りにあらざるを怒り、悲みにあらざるを悲むは誤にして此種の事柄はすべて無智感応なり。
 フクの門に見る如く夥しき光波気波は色波の作用によって生ずるなれば、その色波の調節をあやまたざるよぅ按排せざるべからず。よく云ふ虫の居所悪かりしかなどは色波の調節をあやまちしなり。故に思慮分別なき人は是等の過失犯すこと多し。思慮分別は色波を完全ならしむる機械に等し。悲しからざるを悲み怒ることなきを怒るは思慮分別なきによって、気波光波が接続したるまま発電なしたるにより生ずる電波に等し。されば斯る過失無きよう平素完全に調節を計りをかざれば大事に処して狼狽する事多かるべし。是を整ふるは即ちセンの門より初まる。例へば音楽に於て楽器をフクとせば演奏者はセンとして考ふれば可ならん。楽器は如何なる曲に対しても其に従ひて発音す。是を左右するは演奏者にあり。演奏者正しき人ならば正しき曲を奏で、正しからざれば正不正の曲を奏す。されば組織するに於ても正邪の区別あるはまぬがれじ。

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