覚者慈音1069 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の九 大悟録 下 第二章 コウの門  テツシン貴尊講義

覚者慈音1069
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の九 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  下
第二章 コウ の門


             テツシン貴尊 講述
               2019.6.19


 汝等眼を定めてギョウの門がコウの門に侵入して二様に分解なし居る有様を注意深く観察し見よ。ギョウの門の雲霧と、コウの門に見る雲霧とに変りたるものを発見することを得たるならん。即ちギョウの門に見たるギョウと、コウの門に見ると、ギョウと云ふに変りなけれど、コウの門に侵入したるギョウは光彩の度いささか光を増したる如く感ぜらるるなり。すべて絶対なるが故に順逆は同時に行はれありて、ギョウの門の姿は分解によって現はれて斯く光の増したる感を与ふるなり。されどギョウの力には決して変りあることなし。是を汝等にたとふれれば汝等には栄枯盛衰あれども、汝と云ふに変りなきが如し。前巻に語りたる神服を織る乙女が下界に墜されしも順逆同時に行はれあるに依て斯る現象は見らるるなり。汝等は数種の書物を読みて心に変化を生じ、或は進み或は退歩するも皆此順逆のはたらきより受くる影響なれば、子女の教育に関する書籍は父母の責任きはめて重し。注意せざるべからず。
 其は兎に角相対ならぬ是等の門なるにより陰にも傾き、陽にも動ずるはたらきも亦同時なるは云ふ迄もなし。この源たる霊光なるが故に一方に偏らず。ここに善悪二者ありと仮定して説明するならば霊光は善者にも悪者にも通じてはたらけど絶対なるによって何れにも化せざるなり。汝等はよく云ふ、彼は八方美人的の人にして善にも同化し、悪にも同化して人の機嫌を損ぜざる態度なればたのむに足らぬ人なりと。此種の人と霊光とを混同して考ふれば大なる誤解を生ずべし。何となれば相対的と絶対的との相違なるによってなり。汝等の云ふ八方美人とは勿論相対性を云ふならんも自己を守る方法としては一面安全策なるべし。されど是を延長して用ゆれば世を治め国を治むる法となるは云ふ迄も無し。八方美人と云ふ言葉は薄情者よとの代名詞に使はるるならんも、我等が語らんとするは斯る意味にあらず。悪人には悪に化して交はり、其悪によって悪を洗ひ清めて善に化せしむる底の八方美人となれよと勧むるなり。悪人に交はるに善を以てすれば彼は汝を避けて近寄らず強いて我より立ち寄れば却て反抗して争闘を誘発するのみにて効果は薄し。和して後改めしめよ。我、今一つの例話を語りて参考とせん。この神話は汝等も知るならん。さりながら知らざる者のために語るべし。

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