覚者慈音1033 未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論 巻の八 大悟録 上 第三章 キュの門  テツシン貴尊講義

覚者慈音1033
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の八 
教主講、テッシン貴尊解説
大悟篇  上
第三章 キュ の 門


               テッシン貴尊 講述
               2019.6.09


 汝等は物事を考ふるにあたって凡ての事柄を相対的に考ふるにより、我等の説明も是に順ぜざれば理解せしむるを得ず。是には非常に悩まさるるなり。たとえば気体に関しても動気不動気などと称へずば通ぜざるなり。即ち絶対の説明ならば単に気体と云へば通ずるなり。斯くの如く相違あるによって、講話にも絶対を相対に変ぜしめて語ること多ければ、智者達は是を諒とすべし。
 休止しある気体は不動気にて、作用を初むれば動気なり。我、行法に於て不動気を通過する動気と説きたるは、相対的に説明なしたるなればここに注意しをくなり。
 霊気は気体を左右し、霊光は光を左右す。故に霊気霊光は常に一体となり居るにより、少時も静止することあらざるなり。是をセイキョウは空源体性と命名けたるなり。気体は静止し或は動ずるによって、自然摩擦をなして光子を作り、或は色波を生ぜしめ、其より更に気光素を露出して是にはたらきの力を与へつつあるなり。気光素はその力を受けて八方十方に活躍して分秒も休止せざるより、すべては保たるる故に絶対性は次第に分離して広く拡大なすことにより、従って相対的となり更に複相対複々相対と化し行きしなり。是を逆上れば反対に複々相対より複相対、相対と進み最後に絶対に返る。是順逆の法則なり。
 即ち第三の門に於て前方に光波現はるれば後方に気波現はれ、又左方に気波おこれば右方に光波現はるる等々は絶対より分離し来りしすべての気光波が融和せんが為に斯くも相寄り相離れて調節なし居る作用の姿なりと知るべし。汝等の世界に於ても一方に高地が噴出せしと思へば一方が陥没する等の形状を見るもこの理に基くなり。人間界にも集合し又分散する等と同様なり。合はせものは離れものと云ふ相対的の言葉も亦融和法の一種と覚ることを得るなるべし。汝等此理を応用して悟道の道を考へよ。
 無極無限の細胞は或は増大し或は減少して汝等の身心を擁護し居れる汝等は、唯是を等閑に附して為すが儘に委せて徒に光陰を空しく過しては勿体なしとは感ぜざるか。肉体の微分子は刻一刻己が任務を果して己が位置にかへり、是にかはって次の任務をなすものは交替して入り来り居るに、汝等の心意魂魄の微分子は未だ任務を果さず。既に交替せんとして来りし微分子を徒に遊ばせ居るにてはあらざるか。道を歩まずば目的の地に到達するは難し。汝等は歩むとは足を連想するならん。もとより足は足なり。されど肉体の足にあらず。心の足なり。肉体の足は左右一歩々々の前進による。心の足は一々の修養によって進めらる。恰も肉体の足を運ぶに異ならざるなり。神は霊気霊光を汝等に宿らしめたり。焉んぞ落胆することあらんや。 

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