覚者慈音941  未知日記 第六巻 光明論  下巻 光明論  五味は如何にせば得られるか  セイキョウ貴尊講義 巻の五    五味は如何にせば整へ得らるか

覚者慈音941
未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の六 
教主講、セイキョウ貴尊解説
悟道篇  上
五味は如何にせば整へ得らるか



               セイキョウ貴尊 講述
                2019.4.20
                   213番


 汝等心意の融和を考へし事なきに依て斯る現象を生ぜしむるなりと悟らば憎みより生ずる怒りは断えて消滅すべし。汝等己が子を戒しむるは愛するによりて戒しむるなりと口にこそ称へ居れど、其心理を追究すれば愛にあらずして怒りの戒めなる事多きを我は知るなり。真の愛より子を叱り戒しむるならば其誡めの方法を考察してなすべきに、唯訳も無くせめ折檻しあるは怒りの現はれならん。怒りて鞭打つは憎みにして愛の鞭は慈悲なり。即ち神のとがめは憎みにあらずして愛のせめなり。心の融和を計らんとならば、先づ是等の区分を明白にせば自づと道を知る事を得ん。汝等是等のことに関して怒る心を抑圧するは、反射力によるなれば深く考慮するに足らずと云ふならん。然らば問はん。もとより怒る心をなだむるは反射力の作用とは云へ、是に程度を定むる理由は何処より如何なる分時計を用いて測定するやと云ふ事なり。然して是に対しても汝等は又反射作用と答ふるならん。然らば其反射作用の生ずる原因は何処より来るやとの問に対して、其は其怒りを生ぜしめたる原因に帰するなりと答へん。されど我の問ふ処は外部より発する事柄を云ふにあらず。内部的に発生する精神状態を質問するなり。
 例へば群衆の中にありて足をふまれ、先方が疏忽を詫びたらば怒りは沈まり、詫びずば怒りは去らざるべし。汝等は是等も反射作用として簡単に片づくる勿れ。少しく観察を深くして何故に斯る現象ををこすかとの真理を追究し見よ。即ち怒る心を謝罪によって沈静したるは心意が平静に融和せられたるによるならん。もし謝罪と云ふ融和材料なくして相手が何か理窟を用ゆるならば融和が変じて破壊となりて分解の余地を与へざるによりて、怒りの度を失して、果は争闘ともなるなり。内面的観察を下せば人によりて怒りの程度を異にするに即ち分解性のはたらきによる事も推知するを得るなり。怒りにも悲みにも喜びにもみな分解性の働きに依て分度を計るなり。心意を分解より融和へと導く力は魂魄にして、魂魄を分解性より融和へと導くは即ち霊なり。怒るにも悲むも破壊性の作用にて是をなだめ安んずるは組織性なり。人によって怒りの程度を異にすると云ふも、即ち分解性作用による。目上の人に対する怒りには、彼には怒りを強くせば我身に及ぼす後の影響とか云ふ如き特別問題にあらずして、斯る場合には心より意に伝ふるだけの力は目上の人の人格より生ぜしむる底の人格そなはりあるに依て、心意は一体になりてここに分解性の相談を計るなり。是と反対に目下の者には常に己が権威を彼の身上に止め居るによって心のみのはたらきにて、意にも通ぜずして怒るによりて破壊性となり激怒し、融和性とか分解性等の余裕を与ふる暇あらざるによりて斯くも相違ありと知らば可ならん。

×

非ログインユーザーとして返信する