未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百六十六回 絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 実在には限度あるが故なり。故に限度なき零空に向って枝葉を延ばせよと勧むるものなり。 枝葉とは即ち手を差しのべよと云ふことなり。 零空に手をさしのべて、然して更に神の霊手にすがれよと教わるものなり。 手をさしのぶるとは波長の意味なり。汝の波長を神に送りて、神の耳に達せしめよとの意味なり。汝の放送を神に聴かせんとするには、電波を強くせざるべからず。 又その波長を定めざるべからず。信仰とは波長に等し テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界 第九章 不滅母霊子と無言詞の関係 
第九章
不滅母霊子と無言詞の関係
           テツシン貴尊講義



 神と我と一体化せよと教ゆるとも事実に於て、神を見たる事なければ知らざるは当然なり。されど唯知らざる神、見えざる神ありと云ふことのみを認識なし居らば其にて可なり。 兎に角神はあるものとの念を貯へて日々の生活を営み居らば其にて可なり。 先にも語りし如く在るものは在り、無きものはなしと語り置きしはこの理なり。諸子は事実に於て見聞して知り得たることは、その有無の如何を覚ゆれど、空なることには唯想像のみにてその日を過し居るが故に、ややもすれば忘れがちとなるは無理ならぬことなり。如何なる理を聞きても話のみにてはうなづかるるものにあらず。 其等の事に対しては、諸子より我等ははるかにすべての事を知り居るが故に、敢てその是非を咎むるものにあらず。実在方向にまなこをむくるは諸子の心なり。故に実在方向にのみ心をむけ居りては、如何に修行すとも知慧は得難く、又さとりは得られざるなり。即ち実在には限度あるが故なり。故に限度なき零空に向って枝葉を延ばせよと勧むるものなり。 枝葉とは即ち手を差しのべよと云ふことなり。 零空に手をさしのべて、然して更に神の霊手にすがれよと教わるものなり。 手をさしのぶるとは波長の意味なり。汝の波長を神に送りて、神の耳に達せしめよとの意味なり。汝の放送を神に聴かせんとするには、電波を強くせざるべからず。 又その波長を定めざるべからず。信仰とは波長に等し。汝には汝の波長あり。即ち個性と云ふはそれなり。神は如何なる波長を送るとも受信する力そなはりあるが故なり。故に汝等は兎に角信仰に相当する電波を養成して、その通話を計り居らば、何日かは自づと神を知るに至るなり。然して後に神との通話をなさば、その後は我等の知るところにあらず。 我等は諸子をして神とのつながりをなさしむる事によって、我等の使命は果さるるなり。是を天界に導くと称へ居るなり。故に一時たりとも粗略にして、神を離れざる用心肝要なり。
 我かかることを語らば我等を宗教者の如く思ふならん。 されどしばしば語り居る如く決して我等は宗教者にはあらざるなり。 宗派の如何を問はず、正しければその道をふむべし。 正しからずと知らば、正しき方向に足をむけよ。 我等は一宗一派に偏る者にあらず。理は理非は非として、唯ありのままを語り居るに他ならざるなり。

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