僕の叔父さんについて 叔父が住職を勤めている寺の名前は明鏡寺、当地では珍しい臨済系の寺である。檀家数はおよそ40軒ばかりの小世帯。聞くところに依れば、寺の維持管理にも結構に金がかかるみたいだ。建物は町から少し離れたところに立地している。それは明治後期のもので、大分風雨にさらされて傷みもひどくなっ... 続きをみる
2018年3月のブログ記事
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覚者慈音 4 帰途案内記 重要記事 人が死んだらどうなるか セイキョウ貴尊講義
*人間誰しも一度は通る道、いや何千回も通ってきた道、ただ忘れてしまっただけ。この論説を是非ともご一読ください。 yu- 未知日記より 帰途案内記 セイキョウ貴尊講義 人が死んだらどうなるか 死後の魂の往く道 「余事は兎に角、魂の緒の全く切れたる後に於てこの三種の相違あるによって、天界に運ば... 続きをみる
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厳戒の辞について 私はいま未知日記という本の紹介を行っています。福井県の勝山市に住む75歳のお爺ちゃんです。名前は村上雄治と申します。この本は自己出版の形を取り、今は絶版状態にあります。依ってこのブログとの出会いが唯一の遭遇の機会であると考えます。もし関心のあられる方は、どうかそれを別途記憶してい... 続きをみる
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どうも初めましてmilkさん。 北陸の人間はどちらかと言えば気恥ずかしくて、引っ込み思案することが多くてね。なかなか初めての人の中に入って行かれないのですよ。 この下足番の仕事を長いことやっていると、その談話室に入ってこられる人の性格が靴の脱ぎ方に自然と表れてくるものですね。 その点、milkさん... 続きをみる
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衛藤慈声先生の回顧録より転記する この円海貴尊は、徳川氏元禄年間の末期に土佐の武家の息子として出生されたのであつたが,不幸にして年少にして父君を他人の刃で討たれたのである。当時の武士の風習に従って仇討ちの旅に出なければならなかった。 遂には路銀も使い果たし,野に伏し,山に臥す困苦に耐へて諸国を経... 続きをみる
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この未知日記という書は戦前、戦中、戦後の激動期に、天使の方々の啓示を受け、盲目の老人に執筆させた書であります。老人の名前は伊東慈音といいます。その手伝いをされた方が衛藤慈声という方です。この方の手記「覚者慈音」を掲載させていただきます。 この手記は今、東京にお住まいの松尾東平さんに三〇年ほど前... 続きをみる
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覚者慈音3 昭和四十六年三月 衛籐慈声 慈音とこだま会の発足 「貴尊方の教えは智識具備して実に尤もと感ずる人に於いて行う法なれども,現在の如く混濁したる日本人を育成指導なさんと計らば,到底消極的方法に頼みおりては人心を柔らげるに時間を要すべし。故に我は憂慮... 続きをみる
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「何故斯る書名(大痴大覚)選んだかと申しますと,私の先輩に泰岳と云う人がありまして,生まれつき愚物でしたが子供の頃から寺参詣が好きで夜が明けてから眠るまで,ブツブツと云いながら拝むので坊主にしようと寺に頼んで出家させようとしたが一ヶ月足らずで断はられて望みは叶はなかったと云う愚物だったのです。処が... 続きをみる
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衛籐慈声著 覚者慈音 川上村と慈音 慈音を指導した人々 母,中木検校 円海大師(鈴鹿の仙人) 大岳大師 リョジャ.セイキョウ貴尊 教主とテッシン貴尊 序文 慈音とこだま会の発足 泰岳大師出席 慈音の生地奈良県吉野郡川上村を訪ねてみたいと考えだした... 続きをみる