未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百五十二回 絶対界 第八章 天に昇れば雲の上人 現在日本の憲法などは動物性を旨としたる法則にして、人間性の欠くる処多き故なり。諸子の考ふる共存共栄とは動物性を指すにて、人間性を没却したること余りに多し。 斯ることにて何日か平和は望まるべき テツシン貴尊講義

 ヒロさんの転記したものをここに掲載しています 


絶対界 第八章 天に昇れば雲の上人


 諸子は日々衣食住に追はれて生活なし居るため、動物性本能に囚はれて、人間性の修行を疎略になし居るが故に、大切なる修行を怠り居るなり。天に上らずして地を這ひ廻り居りては、雲の上人とはならざるべし。 地を這ひ廻る蛇と雖も、行ずれば竜となりて、天上すると云ふ例話もあることに心せよ。是等の話を小児に語るお伽噺の如く徒らに聞きのがすこと勿れ。諸子の生活は肉体を活かすにはあらずして、日々肉体を殺し居るなり。美味を好み美服を喜ぶ。然して眼に耳に汚れたるものを求めて、心を満足せしめ居るは、是肉体によつて人間性迄亡ぼし居るなり。 我等の諸子に語らんとするところは、肉体を愛するが故に、人間性に帰れよと奨むるものなり。肉体を生かさんがための修養修行として、人間性を健やかならしめよと勧むるに他ならず。 宜しくよく此理を悟りて早く覚醒(めざめ)て、人間性に立ち帰らんことを望む。もとよりものには順序ありて、その順序に従はずば目的は達し難し。 故に諸子は動物性より人間性に、人間性より更に、仏に、更に進んで神界へと進むは順序なり。然るにながく動物性にのみ囚はれて、人間性に進まずば道は得られじ。兎に角永く動物性に居りては唯空しく亡ぶるの他なかるべし。諸子は優勝劣敗と云ふ言葉を用い居れど、其は人間性に適用する言葉にあらずして、その多くは動物性を指すならん。 動物性は強弱或は剛柔を意味するにて、優劣を指すにあらず。 肉体の強弱剛柔は限度あり。されど人間性の優劣は限度なかるべし。我等先に語りたる日本の憲法は不完全なりと説きたるは是なり。現在日本の憲法などは動物性を旨としたる法則にして、人間性の欠くる処多き故なり。諸子の考ふる共存共栄とは動物性を指すにて、人間性を没却したること余りに多し。 斯ることにて何日か平和は望まるべき。古来より今に至る迄争ひの絶えやらぬは、何故かをよくよく考へ見よ。動物性のみ盛にして正しき人間性を忘れ居るが故に、安からぬ日をむかへ居るにてはあらざるか。 我斯く語り居る時、慈音日く、されば何処迄が動物性にして、又何処迄が人間性なりや。人間性と動物性との区別、 我等には明白ならざる点多しと口走り居るを聞く。是等に関してくはしく語り居りては限度なし。故に知慧をはたらかせて斯くすれば是は動物性か、或は人間性かの鑑別をなしつつ行するにあらざれば、目的は達し難し。昔の日本人の中にもたけき武士が遂世して、出家なしたる例少なからずあるならん。剛のものと自他共に許す底の士が、剣を捨てて出家するは何故ぞ! 武力にては世は治まるものにあらずとの心より、剣を捨てて人間性に立ちかへりたるならん。 武力暴力によって人を虐ぐるとも、人間性の魂は武力暴力にては虐げ得るものにあらず。所謂つなげる駒ふくせる鼠と同様の事柄に他ならざるべし。

×

非ログインユーザーとして返信する