未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百五十一回 絶対界 第八章 天に昇れば雲の上人 故に無学者の慈音に通じて、この書を残しおかば、何日かは学者の為の資料となりて、大なる発見をなすことあらんと思ひてなり。是等の事柄は諸子の住へる地球上の人類のうち、慈音のみに限らず幾千人かのものに対して教へをなしつつあるによって、後世是等に属する書物が多く現はるることならん。 然して其等の集りが一致したる時、はじめて全人類が其によって、向上発展の道を為し遂ぐること疑ひなしと語りおくものなり。軈てその日の近からん事を望む テツシン貴尊講義

 
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絶対界 第八章 天に昇れば雲の上人


 人間性本能と云ひ、或は動物性本能と云ふも、是みな智慧の別れなるべし。 所謂絶対の智慧が相対に別れて、二分或は四分せられたるに他ならず。是をもとに立ち返へらしむれば絶対智慧に帰するなり。所謂智慧より出でて知慧にかへる。或は霊より出でて霊にかへると見るも可ならん。 諸子は肉体あるが故に、知慧は働らくと思ふは誤謬なり。知慧あるが故に肉体を働かせ居るなり。知慧が肉体か、肉体が知慧か。是を一如に化せしむれば唯無と答ふるの他なからん。この言葉も不確定語なり。されど後に到って理解することあらん。 今は唯かく語りおくこととせん。諸子の世界は肉体の交はりによって人類をつくる。されど二流界に到ってはかかることにて人をつくるものにあらず。無機と無機の交はりが有機に化せられて、その有機より更に人類が生存なし居るなり。故に諸子の科学と二流界の科学とには、雲泥の差あることもうなずかるるならん。我等この理を学者に伝へて向上せしむる法はよくよく知り居れど、もし是を学者に知らしむるならば、学者は己の知慧によって是をなしたりとの誇をたくましうするが故に、却てその方法に対して傷つくること多し。故に無学者の慈音に通じて、この書を残しおかば、何日かは学者の為の資料となりて、大なる発見をなすことあらんと思ひてなり。是等の事柄は諸子の住へる地球上の人類のうち、慈音のみに限らず幾千人かのものに対して教へをなしつつあるによって、後世是等に属する書物が多く現はるることならん。 然して其等の集りが一致したる時、はじめて全人類が其によって、向上発展の道を為し遂ぐること疑ひなしと語りおくものなり。軈てその日の近からん事を望む。


 諸子の世界にはみな其々個々に有する特性ありて、その悉くが同じからず。 故にその一々に対して姓名を附せざれば、誰彼の区別を定むことあたはざるなり。 それは人と人との交はりによって、附せられたる符号にして、所謂一種の目標にすぎざるなり。故に誰彼が何々の行ひをなしたりとか云ふが如き、記録を止めおくの必要もあらん。されど二流界の人類ともならば既に斯る必要はあらざるなり。 何となれば二流界にては定められたる職衣を纏ひ居るが故に、一見すればそのものの特性はうなずき知ることを得るによって、もし其が怠慢なる行ひをなす時は、分を守らざる罪に問はるるが故に、他の分野を犯すことなく、己が任務を完全に果し居るによって、 諸子の世界の如くなる記録など止むるの必要はあらざるなり。己の分を知りてその任務を果さずば、又も下界におとさるる事を欲せざるが故なり。諸子には人間性と、動物性の二種の備はりあるが故に、ややもすれば自己の持つ人間性を忘れて、動物性にのみ囚はるるが故に、己の分を果すことを得ず。其のみか動物性のために、人間性を忘れ居るものすら多くあるなり。故に人間性を知らしめんがために、宗教の必要もあるならん。

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