未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百四十七回 絶対界 第八章 天に昇れば雲の上人 大自然は或程度迄地上におき、然してその霊気を上昇せしめて、他界に移さんことを計りあるなり。 諸子は同じ肉体をながく有して、永久その肉体のために悩まされありては、真の安楽は得られざるべし。 よつて神はその苦患より免がれしめて安らかなるところに安住せしめんことを計り給ふは、これ大自然の法則あるが故なり テツシン貴尊講義


ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界 第八章 天に昇れば雲の上人


 絶対自然の法則は軽きものは上昇し、重きものは下降す。即ち引力圧力のあるは絶対自然の法則なるべし。さればこそ前記の講目の如き俗言はあるならん。 肉体を地上に置き魂を天界に送るの意味より、この言葉は出でたるならん。位高くならば人より尊ばる。諸子のものを尊ぶは高きを指すならん。位とは霊気にして肉体を指すにはあらざるべし。 肉体を有するが故に、修行して品位を高むることは是即ち、霊気を物語ることは云ふ迄もなし。されど我等は斯かることのために、この語を講目として掲げたるにあらず。 人間生れて永久死することなければ、身心共に地上に置れて永久何れへも上ること難かるべし。 ここに於て大自然は或程度迄地上におき、然してその霊気を上昇せしめて、他界に移さんことを計りあるなり。 諸子は同じ肉体をながく有して、永久その肉体のために悩まされありては、真の安楽は得られざるべし。 よつて神はその苦患より免がれしめて安らかなるところに安住せしめんことを計り給ふは、これ大自然の法則あるが故なり。 物には順序ありて、その順序を正しくわたるにあらざれば最後の望みは達し難し。さればこそ神はすべての法則を曲げ給はざるなり。 肉体に宿せし霊を鑑別して、其々稔りの程度に従って、更に其を順序正しく運び行きて、然して後最後の位置に進むことを得るなり。 もし全宇宙にこの組織なければ、 諸子は永久同じ位置にをかれて、向上することはあらざるなり。低下するも自然にして所謂逆行の方向に向ふ法則なるが故なり。先にも語りし如く折り返へすならば、即ち低下するなり。 折り返へすは稔らざるが故なり。 稔らざるは不完全にして恰も機械に故障を生ずるか、或は線路の損傷によって余儀なくせしめらるるに他ならずと知らば可なり。誤ちたる方向に歩みを進むれば、折り返へすの止むなきに到るは当然なるべし。肉体に宿れる霊気は軽し。軽きが故に上昇するなり。されど稔りて軽きと、稔らずして軽きとの相違によって、 是又上昇の程度も異るなり。 執着心を貯ふれば、その執着の程度に応じて、霊気は重し、故に是等は上昇もせず、又下降もせず宙に迷ふなり。 所謂執着と云ふ一種の有形物が禍をなし居るなり。修養修行せずして唯死するがままに死しなば、是は分解されて飛散し、唯霊気のみが別れ別れとなりて他に宿されて、或は虫となり、或は畜生となりて又下界の苦みを招く結果となるなり。故に十分に稔らせて飛散分解せざるきはめて軽きものを上昇せしむれば、其にて目的は達せらるるなり。 修養修行の力に応じて、 九流界或は其以上の界に置るるは、みな程度の如何によるなり。天に昇れば雲の上人とは、即ちこの理を云ふなり。

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