未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百四十四回 絶対界 第七章 神霊界 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係 甲より乙と云へば名称を異にするによって出でたる処と、到る処と異なる如く考ふるならん。 我の語りしは甲より出で、一回転してもとの甲に立ち返りしを指すにて、甲乙とは即ち同一地点なりとの意味なれば、其心して聞れんことをここに注意す テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています


絶対界 第七章 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係   
無始終霊子、不滅母霊子、活動霊子、補助霊子の関係
              テツシン貴尊講義



 例へば単線の電車がありとせんか。 一方は甲より乙の駅に向ひ、一方は乙より甲に向ふとして、その両者が中途にて衝突せしめざるよりになすには、中途にて二つの線を作り置ずば衝突は免がれざるべし。其と同様の関係にて所謂中途に相対の線をつくりあると同様の関係なりと思はば従つて解することを得るならん。 故に乙より来るものは甲に達し、甲より来るものは乙に達するも中途に相対の別れあるが故なり。 先にミキョウが語りし自問自答とはこの類に類す。 自問自答は反射作用なるが故に乙より甲、甲より乙に帰せしむるには中途に於て二つの線をつくり置ずば通ずること難し。甲より乙、乙より甲へと自問自答してその復線を応用することによって初めて目的は達せられるなり。 心明らかならば光は魂に通ず。魂明らかなりと雖も、心暗ければ太陽の光はさへぎられて、反射の力もうすし。故に諸子の行ひ居る自問自答はにぶくして、明瞭とはならざるなり。依つて心は常に平ならざるべからず。 宗教者の云ふ平常心とは、常に心を平にせよとの意味なるべし。
 ここに一言注意することあり。 諸子は甲の地点より乙の地点に到ると云ふことに対して、我等の思ひと相違なし居ることに気附きたるが故なり。其は他ならず。甲より乙と云へば名称を異にするによって出でたる処と、到る処と異なる如く考ふるならん。 我の語りしは甲より出で、一回転してもとの甲に立ち返りしを指すにて、甲乙とは即ち同一地点なりとの意味なれば、其心して聞れんことをここに注意す。
 例へば日本より出でて西へ西へと進み居らば、又もとの日本に帰ると同様なれば、ここに留意せられたし。 先に語りし相対に到りて折り返へすとの意味とに異なる故なり。中途にて折り返へさば一周したるにあらず。所謂絶対に出でて絶対に帰るを、甲より乙に到ると語りたるなり。誤認すること勿れ。この事に対しては後に教主の語らるる事の意味が、諸子に迷ひを起さしむる点少なからず。故に甲より乙へと名づけて、同じ地点に区別を与へ置たるなれば、重ねて注意なしおくものなり。兎に角絶対と絶対との中に相対なくんば、唯絶対にて説明は終る。されど絶対と絶対の中に相対の含まれあることを、深く認識なしおかざれば、教主の語らるる意味は諒解すること難し。 兎に角絶対と相対の関係は相似て等しからざる点少なからず。故に学者も智者も芸術家もこの事あるによって迷ふなり。

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