未知日記霊話集未知日記霊話集 第千二百四十二回 絶対界 第七章 神霊界 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係 されば明鏡止水にならしむる事に努めずば、何物をも明らかにする事は難からん。 常に清水に化せしめて渇を癒すにあらざれば、咽喉を霑すこと難からん。空間に散在する塵埃を常に浄化して、是を下方に落し、其を排除して清むる方法に他ならず。斯する事によって魂も心も、常に浄化されて常に明朗なる心魂は快活に働くことを得るなり テツシン貴尊講義

ヒロさんの転記したものをここに掲載しています
絶対界 第七章 無始終霊子の人間精神に及ぼす関係   
無始終霊子、不滅母霊子、活動霊子、補助霊子の関係
              テツシン貴尊講義



 心は雲霧の如し。然して魂とは地中の水と思はば可ならん。又水を智慧と見なして考察する時は、水の働きが魂にして雲霧の働きは心なりと見なして研究するも可ならん。 諸子は雨の水を美はしと思ひ、地上の水を濁水と見るは過誤なり。雨水は一見すれば清浄の如く見ゆれども、事実は蒸発したる水分が空間の塵埃を包含して、地上に落ち来り居る事はよく知るところならん。故に雨水も混濁なし居るなり。地上に落ちて地中に浸み入り、然して浄化せられて泉より湧き出づる時初めて清水となりて飲料に用いらる。人心に於ても同様の関係あるなり。心は魂の水分が蒸発して雲霧に化せられたると同様と思はばうなずく処あるならん。仮に魂を臍下丹田に在りと見なして考ふる時、其が丹田より上昇して心となりて、空間に相当する頭部の方向に向って上昇なしつつあるによって、常に心が全身にはたらきをなし居ることの理は察せられるならん。 諸子は其全身に張りたる雲霧に相当する心をのみ働らかせて、丹田より湧き出づる魂の水を汲まずして、唯浄化をはからず用い居るによつて、魂の泉も心の雲霧も、共に混濁して凡てを洗ひ清むること能はざるが故に、全身を混濁せしめて正しき清水を求むること能はざるなり。故に凡てのものを明白に映すこと難きは当然なるべし。されば明鏡止水にならしむる事に努めずば、何物をも明らかにする事は難からん。 法とはむづかしきものにあらず。 常に清水に化せしめて渇を癒すにあらざれば、咽喉を霑すこと難からん。空間に散在する塵埃を常に浄化して、是を下方に落し、其を排除して清むる方法に他ならず。斯する事によって魂も心も、常に浄化されて常に明朗なる心魂は快活に働くことを得るなり。 是等に関しての方法はすべて「末知日記」 前巻を参照せば可ならん。是を名づけて魂心を磨くと云ふなり。 又魂心一体の法とも云ふなり。人は種々様々の食物によって、肉体の増減変化なしつつあるが故に、常に全身には諸々の塵埃が間断なく集りあるによって、是を魂心の浄水によって清浄せざるべからず。 浄水とは即ち智慧なり。其をなさしむるものは魂心の働きを云ふ。是即ち智慧の働きとも見なして可ならん。

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