未知日記霊話集千二百九回 光明論 下巻 巻の十 汝等には其々の個性に応じたる役目あり。無用のものを一として神は作り給はざればなり。汝等は世を救はんと思ひて立つは有形にして、世を救ふと云へる如き観念に囚はれず自然に救ひつつあるは神の命に従ふ無形の救ひなり 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 汝等は三様の衣を完全に纏ひたり。今よりは神の命に従ひて進まば可なり。有形救済にもあれ、或は無形救済にもあれ命ぜらるるままの行動をとらば可なり。汝等には其々の個性に応じたる役目あり。無用のものを一として神は作り給はざればなり。汝等は世を救はんと思ひて立つは有形にして、世を救ふと云へる如き観念に囚はれず自然に救ひつつあるは神の命に従ふ無形の救ひなり。故に汝の手柄功名とはならざる如く思はるれど其は神と然して神に仕ふる我等はよく知るところなるなり。
 欣情は慈音に向かいて曰く、我、今日迄講義を聴きたれど未だ何物も把握する能はず。唯心中に一種の塊に似たるものを感ずるのみ。されば如何にせば宜しきか。所謂霊に帰するには如何なる法を択ぶべきかと。慈音は是に答へて其にてよしと云ひ居るを我は聞きたり。汝等我教へに従ふ者、よくよく此対話について深く考へをめぐらすべし。とかく汝等の信仰はその徳によって何かの目標となるべきものをと願ひ居るによって、欣情の如く、不安に似たる一種の重苦しきものを感ずるなり。されば是ある間は完全なる信仰は得られず。この塊こそ神の力をへだつる襖なり。慈音は其にてよしと不明瞭且つ不徹底の返事をなしたるは欣情の修行がその障壁の現はれたるを喜びてなり。今遠からずその障壁は開らかるるを知りたれば、是を有耶無耶にして自覚を与へんとなしたるなればやがては本然に帰るならん。
 其兎に角神より何かの験を得んとの信仰は幻影を露出して果は魔道に踏み入る恐れあれば、斯る信仰はさらりと捨てよ。斯る信念は恰も学校に入学するに学業に重点ををかず、修学証書を得て履歴を作らんと思ふに等し。学力そなはらば証書は不用なるべし。我は神の道を説く。その道を歩むもの一人として洩るる者あらんや。学徳そなはらずして得たる証書は反古に等しかるべし。我等の眼は汝等の力量を見る力あり。セイキョウ、テッシンは欣情に至り居るによって、彼女はその講演談話を聞き居るも故なきにあらず。又特に欣情の名を彼女に贈りて証書にかへたるに彼女は其意を知りながらも何か得んと、否何かある如く自我の心境は昔も今も何等変化なきを訝る如きは、未だ真の信仰を知らざるなり。欣情にして尚斯くの如し。況や信仰うすきに於てをや。世を救はんとの念ををこすとも、自己本位をはなれての救済は至難なるべし。汝等、我、欣情に対して与へ居る言葉は彼女を引用して汝等に与へ居る教へなれば、是を汝等修養の糧として聞くべし。

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