未知日記霊話集千二百二回 光明論 下巻 巻の十 我の教へしは汝等が役目を全うして帰るべき処、即ち汝等が永久住居する家即ち是を神の家と名づけたるにて神の住居し給ふところにあらず。汝等この家に帰らずば神の姿を拝するを得ざると知るべし 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 絶対とは相対の結合と仮定せば相対即絶対にて、絶対より相対が分離せられりと仮定せば絶対即相対の関係となる。然りとせば絶対即相対、相対即絶対なるべし。故に絶対と相対は対立して又相対となる道理あるべし。故に我の語らんとするは斯る絶対を云ふにあらず。されば汝等の考ふる絶対は成立せずと同時に相対も亦成立せざるなり。然らばまこと絶対と考へらるる意味の絶対とは何かと云へば即ち無言詞無文彩なるべし。セイキョウは是を知るによって空源体性と命名け居るなり。即ち相対絶対はこの空源体性に含蓄せられたるを云ふ。故に無言詞無文彩なるべし。何となれば絶対には相対と云ふ言葉を伴ふによって言葉にては汝等に通ぜしむることを得ず。されば空源体性と云へる言葉は無極絶対と仮定する時不可分の関係ある月に対しては相対となり、太陽を絶対視すれば惑星恒星共に相対の関係となる如く、順次逆上ればはてしなし。故にまことの絶対とは即ち空源体性を措いて他なし。又是を言葉によりて一言に説きあらはすことを得ず。故に無言詞無文彩と説きたり。この空源体性即ち神の世界なりと知らば可なり。我、汝等に地球より神の世界に飛行せば八百億光年余を要すと説きたれば、汝等はその絶対論より推測して不思議の感を抱くならん。我かねて是あるを予期しつつありし。即ち汝等が住める世界も神の住居なり。宇宙全宇宙悉く神の世界ならざるはなし。然るを八百億光年と数字にて示めしたるは如何なる意味なるかを考慮し見よ。このところは神々の住み給ふところなりと考ふるや。修行半途にある者ならば知らず、既に情愛慈悲の衣を授けられたる汝等にして斯る事を考ふるものあらんやとは思へど、万が一にも斯ることを考ふる者あらば早くめざむべし。我、汝等に神の世界に至るにはとの言葉の意味を汝等は曲解して、神の世界とは神の住居し給ふ処と思ひしならん。然る考へは大なる過誤にして我の教へしは汝等が役目を全うして帰るべき処、即ち汝等が永久住居する家即ち是を神の家と名づけたるにて神の住居し給ふところにあらず。汝等この家に帰らずば神の姿を拝するを得ざると知るべし。神は何処にありやと訊くもこの家に帰る迄は説明すとも汝等には理解することを得ず。又きくも詮なきことなるべし。斯る事を研究する暇にて修養修行を重ねて寸時も早く神の姿を拝すべし。神はこの時を待ちわび給ふならんと我は思ふ。汝等は神を見ることを得ざれども、神は汝等を見のがし給はざるなり。然るを汝等はひそかなる処ならば神の眼はのがるるかに考へて、暗き処に隠れて不善を企つるは愚なる事なるべし。今や汝等は相対より絶対に結合されたる境涯迄進む事を得たるなり。今も語りたる無言詞の境涯に達するには未だしと知るべし。
 さて汝等は絶対情の肌着、絶対愛の中着、又絶対信仰の帯をしめ絶対自由の沓をうがち、然して霊光の冠を戴く。霊光とは無言詞無文彩絶対なれば相対をあらはす絶対とは格段の相違あることは云ふ迄もなし。この威徳にて絶対は左右さるるなり。さればこの冠を戴きて初めて夜の明けたる心地となる。されば今迄見えざりしものは明らかに見え聞かれざりし声は明らかに聞くを得るに至る。

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