未知日記霊話集千二百一回 光明論 下巻 巻の十 賢者となる勿れ。さりとて愚者ともなる勿れ。然らば何とならんと修養修行するかと云ふに我は智者となれよとすすむるのみ 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 そは兎に角霊光の威徳は斯くの如き特殊のはたらきありとの信仰を強くせば、その霊光に順応してその徳にうるほひて自我心を起さずば、霊光は汝等をして決して悪道に陥らしむるものにあらず。安心して生活なし居らば天理に反する恐れなし。即ち情(なさけ)も愛も慈悲も信仰も自由も悉く霊光の威徳によって生ず。又憎しみ恨み妬み等も霊光の逆用によって生ず。あやまちて是を逆用せれば終生取り返へしのつかぬ魔道に転落すべし。即ち汝等の世界は相対性にして絶対ならざればなり。汝等が世界は相対なるによって肉体観念と精神観念の二様に区分されて物事を処理するに及んでかくも表裏の姿となり居るなり。故に精神的には愛を抱き肉体的には憎みを覚ゆ。俗言に可愛さあまって憎さは百倍のたとえを生みたり。
 我この巻のはじめに汝等の肉体は捨てられたりと説きしは相対をはなれて絶対の境に誘導なしたることと知るべし。今や汝等は絶対の境におかれたる以上善に偏らず、悪に偏るの愚を敢てなさざるならん。善を考ふれば悪はその裏面に影を現はし、汝等の世界には親に孝をつくさんがために悪事を犯して親を泣かしめ却て不孝に陥る例は尠からざるべし。是相対性現象なるに基因す。されば絶対性世界に入らば斯るあやまちはあらざるなり。汝等今漸く絶対界に入りたるのみなれば、その道理は未だ察せざるならん
 以前円海が慈音に話せし泰岳こそは汝等に云はしむれば愚者の如く思ふならん。即ち賢愚は汝等が想像より判定せらるれど事実は然らず。泰岳は賢愚を超越したる智者にてありしなり。絶対の智者なるが故に汝等相対の世界には斯るものを智者と予測するあたはざるは当然なるべし。賢者となる勿れ。さりとて愚者ともなる勿れ。然らば何とならんと修養修行するかと云ふに我は智者となれよとすすむるのみ。汝等の世界には種々様々の理論理窟の生じ賢者の理窟は成立し、愚者の道理は排撃せらるる等のあやまちを招来するもみなこれ相対性の余儀なきに至るなり。されば相対性の世界には絶対性理論は成立至難なるやとの問題なるが是に対していささか語るところを聞くべし。修養の未だ積まざる人にはいささか理解は困難なるべけれどたゆまず観察につとめよかし。

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