未知日記霊話集千二百三回 光明論 下巻 巻の十 汝等の考ふる如きあはれと、我の説く処のあはれとには多大の隔あり。即ち人間と生れて人間の何たるを知らざる者、これ以上の哀はあらざるなり。貴賤貧富生老病死の事柄等の考へは、其は些細の哀にして人間の認識(わきまへ)なき哀に比しては到底比ぶべくもあらざるなり 教主寛大講義



未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 次に救ひの笏についてなるが、汝等は救ひとは如何なるものを救はんと考ふるか。又救ひの意味を正しく認識なし居るかを我、汝等に質問す明確に答をなし得るか。汝等の考へにては哀なる者を救ふなりと答ふるならん。然らば如何なるものを哀なる者と思ふか。貧しくして日常の生活にこと欠き悩む者を云ふか。然らば問ふべし。汝の資産にて百千万の貧者を救ふ余力ありや。亦或者は云ふならん。病に悩む者と。汝は医者にはあらざるに何によって救はんとなすや。又或者は云ふならん。愚にして世を渡るを得ざるものをと。然らば汝より愚なる者ありや。その他あはれと思ふ事柄の数々を列挙するならん。然りと云へども汝の力に於て十人の人を救ひ得られたりとも、千万の人を救ふ力は有せざることを我は知る。もとより一人にても救ひ得らるれば結構なる事なり。己富めるにあらざれば貧しきを救ふあたはず。己尊きにあらざるが故に賤しきをあぐるあたはず。己強からざるによって弱きを助くるあたはざれば何をか救ふべきかを知らざるならん。世に処して人に救はるる我なるをと述懐する他なかるべし。
 されば汝等は先づ救ふと云へる意味を先に認識せざれば完全なる救ひの笏を使用なし難からん。もとよりあはれなるを助け救ふには相違なけれど汝等の考ふる如きあはれと、我の説く処のあはれとには多大の隔あり。即ち人間と生れて人間の何たるを知らざる者、これ以上の哀はあらざるなり。貴賤貧富生老病死の事柄等の考へは、其は些細の哀にして人間の認識(わきまへ)なき哀に比しては到底比ぶべくもあらざるなり。生老病死卑賎のあはれを哀として救ふも法なりと云へども、人道全ければ斯る苦患は氷の如く溶くるなり。汝等肉体の悩みは財宝によって又医薬によって救はることを得れども、精神の悩みは如何なる財宝如何なる薬石を以てして救べきかに意を用い見よ。然して肉体の悩みと心の悩みと何れが苦しきかを比較し見よ。肉体の悩みは寸時に消滅すれども、心のなやみは簡単に治癒し難きを知るならん。されば富者は貧者を救ふを得るも、なやむ心を救ふを得ざるべし。富者と雖も財宝によって心のなやみを如何ともなし難からん。貴賤貧富を嫌はず皆其々心のなやみはまぬがれがたし。

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