未知日記霊話集千百九十九回 光明論 下巻 巻の十 法とは如何なる術を以てすべきか。即ちその沓をうがたざるべからず。この沓をうがたば森羅万象悉くに通じて和し、然して思ふがままに同化せしむる力あり。故に自由の沓と名づけたり 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 次には自由の沓及び霊光の冠について語らんとす。冠を後にして自由の沓より話すべし。ここに我の語る自由とは汝等が思ひとは聊か異なる意味を有す。例へば甲に至らば甲に和し、乙に至らば乙に和する如き意味は自由にして何事も行はんとせば行ひ得ると云へる自由を指すなり。自由とは心のままに行ひ得る自由ならざるべからず。我儘気儘は自由にあらずと考ふるもよし。人と人の約束は守らずともそは自由なりなど称ふる無法自由を唱ふる無分別者もあるは嘆はしきことならずや。天理に合ふ行ひは必ず通じてなさんとせば必ずなる。なしてならぬは天理に反す。即ち不自然なるによってならざるなり。不自然の行ひは自由を束縛す。されど自然に帰らばなしてならずと云ふことなし。是天より解放せられたる真の自由なればなり。
 農夫とならんとせば農夫となるべし。工業を営まんとならば、学者とならんとならば、医者とならんとならば其々の道に従ひてなるべし。そは汝等に与へられたる自由なり。されどこの事柄には其々の法則はある事に留意して行はずば成就することを得ず。何事も法則を知らずして行へば必ずなるものもならざるべし。天理に反して自由を得られざるは汝等も知る如し。真の自由は束縛のなわを脱せざるべからず。束縛は天理にもとる故なれば順応して始めて解脱して真の自由は得らる。汝等は自由主義自由主義と誇張しながら不自由主義に陥り居るは笑止なり。
 自己がたてたる目的に対して希望を充たすことあたはざれば自由は得たりとは云ひ難し。然りとならば自由とは帰するところ希望を満たすにあらざれば自由にはあらずとの結論となる。故に自由には希望を伴ふ。その希望を果さしむるには方法を以てせざれば目的は達することを得じ。法とは如何なる術を以てすべきか。即ちその沓をうがたざるべからず。この沓をうがたば森羅万象悉くに通じて和し、然して思ふがままに同化せしむる力あり。故に自由の沓と名づけたり。自由は和なり。和せざれば同化は得られじ。汝等現今使用し居るラジオと称するものの受信機の検波器の如く、如何に廻転自由なりとも希みの曲の波長に和せしめずば目的を達するを得ざるに等し。されば自由の沓とは検波器の如しと考へて学すべし。

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