未知日記霊話集千百九十八回 光明論 下巻 巻の十 されば我の語るところは文字にも文章の可否に拘泥せず、全体の意味を認識把握せよと注意しをくなり 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 情愛(なさけあい)にて慈悲の発電機を作るとも発電せしむる動力線をそなへざるべからず。是即ち信仰と云ふものによらざるべからず。汝、三枚の衣を完全に纏はんとせば、帯をかたく結ばずば衣はぬがれて裸体となるに等し。我、汝等が信仰の様を見るに恰も頭に傘を戴く如き信仰にて、即ち下方より上方に対する信頼にすぎずと思ふなり。斯る事は己を低くするにあらずして、己を低しと見て己より高きものに縋り頼みて苦みをまぬがれしめんとのあさはかなる観念より生ずる卑怯の希望にすぎず。信仰によって救はれんと思ふ如き信仰、其はたとえ自らのみに止まらず、他をも共に救はんとなすを真の信仰と考ふるとも、そは決して真の信仰ならざるのみか、信仰と云へる意味を全く誤解なし居るにすぎず。汝等真の信仰とは如何なるを指すかに考慮を深くめぐらし見よ。汝等は病に冒されて薬を服するにその処方は従来と異なり近来学者によって発見せられたる新剤にして、その病気にはきはめて顕著なる効果ありて服用せば治癒も速なりと聞かば、必ず服用の効果は速なるべし。然してその後他の学者がその薬剤を研究したる結果、そは旧薬の模倣剤にして以前の旧薬より劣悪なるものと聞かさるれば、その後同じ病になやみて服用すとも以前の如き効果は決してあらざることに気づかば信仰の原理は察するを得ん。即ち薬石の如何に不拘利くと信ずると利かずと信ずるによって結果に表裏ありとせば、信と云ふ作用は汝の心中に潜在する一種の組織なるべし。その組織こそ我が語る信仰の帯なりと知るべし。故に信仰は神を呑み信ずると云ふにあらず。されば又分別にもあらず。特殊の組織、特殊の作用を有する動力の根原を云ふなりと思ひて可なり。
 我汝等に注意しをくことあり。そは他ならず。汝等はあまりに文字文法に重点ををくによって我説くところを曲解すること多し。信仰と云へる言葉についても文字の意味に囚はれ居りて解釈をあやまちて、即ち信仰の文字より解釈なすによって上位に信ををくに至る。我の説く信仰とは前に説きたる特殊組織を増大せよとの意味にて換言せば信の種子を発芽せしめよ。然して又是を完全に成熟せしめよとの意味を信仰と云ふなりと知るべし。されば我の語るところは文字にも文章の可否に拘泥せず、全体の意味を認識把握せよと注意しをくなり。
 さて是等の理より推定せば催眠術感応術より受くる現象はその特殊組織の動揺によって生ずることも察することを得るならん。汝等には未だ教へあらざれども信仰より生ずる作用には不可思議なる事柄多くあるなり。

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