未知日記霊話集千百九十七回 光明論 下巻 巻の十 慈悲は救ひの法力なれば神の道人の道をふみ迷はすものにあらず。水に溺れしめず火に焼けしめず、怨敵をも降伏せしむるなり。慈悲は彼我を一体ならしむるくさびともなり、又彼我の区別を結ぶ紐ともなる 教主寛大講義


未知日記 第六巻 光明論       
下巻 光明論 巻の十 
完結篇
                     教主寛大 講義
                    

 慈悲は救ひの法力なれば神の道人の道をふみ迷はすものにあらず。水に溺れしめず火に焼けしめず、怨敵をも降伏せしむるなり。慈悲は彼我を一体ならしむるくさびともなり、又彼我の区別を結ぶ紐ともなる。故に慈悲はすべての相対を絶対化する原動力と知らば理解は得られん。故に慈悲は高きより低きに及ぶと考ふるはあやまりなりと説きたり。今この理に基きてすべての事柄を明らめ見よ。
 例へばここに飢えたる人ありて将に死期せまるを見たる汝は見捨てて死なしむることを平然として傍観するか。さりとて彼を救ふには食を要す。然るに我には彼に与ふる食を有せざれば如何ともなし難し。斯る時汝の心境は如何。我身体の肉をさきて彼に与ふる勇気ありや。汝等にはその勇気はなかるべし。然しながら哀れと思ふ同情の心は汝等にも必ずやあるならん。唯肉をさきて彼に与へんとなす迄には到らず。さりとて彼を見棄るに忍びず、とやせんかくやせんと思ひ惑ふに過ぎざるならん。我、汝等に語らんとするはここにあり。斯る時汝、彼に対して我身の肉をさきて与ふべきか、如何かと思ひ惑ひて漸く意を決して肉をさくとも、既に慈悲は消滅なしたるにてその行為は空しくなりて影を止めず。何となればそは亢奮状態より起る発作的義侠なりと知るべし。真の慈悲とは即ち神に通ずるにより斯る場合に直面すとも臆せずさわがぬ態度にて、機に応じ変に処して適宜の処置によって彼を救ひ己も肉をさくの苦みを犯す必要はあらざるなり。慈悲はすべてを統轄する力を有する光明にして恰も汝等が世界を包む空気の如しと考ふるも可ならん。空気は縁の有無を問はず、すべてに及びて決して偏頗あることなきを汝等は知るならん。されば慈悲をモツトーとして生活を営み、世を渡るならば人間界は不和を生ずることなかるべし。是神の法に順応してその法網の裏面をくぐらざるによりてなり。

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